はじめに、ふた、ありき
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▼「若者3年以内離職率、飲食業など48% 厚労省調査」
「厚生労働省は31日、入社から3年以内に離職した人の割合を初めて業種別に公表した。3年前に大学を卒業した若者では教育・学習支援業と宿泊・飲食業が48%と高い離職率を示した。製造業は16%、鉱業・採石業や電気・ガスは1割未満にとどまり、業種で大きな差があることもわかった。3年前の2009年に入社した若者のうち、大卒者は28%、高卒は35%が3年以内に離職した。離職率は1995年ごろから高い水準で推移。一時は中卒者で7割、高卒者で5割、大卒者で3割にのぼり「7・5・3問題」として取り上げられたこともある。」(2012年10月31日 日本経済新聞) 離職率が高いのは、若者たちのせいではなく、「構造改革」だとか「経営の合理化」だとかの名のもとに、やりがいのない、つまらない仕事をつくりだしてきた、これまでの経団連経済に責任があると思う。本来、仕事とはなんだろう、いや、なんだっただろう、シューマッハはこう書いている。 「仕事というものを、労働者にとって無意味で退屈で、いやになるような、ないしは、神経をすりへらすようなものにすることは、犯罪すれすれである。人間性はおもに仕事をつうじて培われる。自信をもってのびのびと仕事をすれば、仕事をする当人とその産物はすばらしいものになる。インドの哲学者であり、経済学者でもなるJ・C・クマラッパは、この点を次のようにまとめている。 「仕事というものの性質がただしく理解され、実行されるならば、仕事と人間が持つ高い能力との関係は、食物と身体の関係と同じになるだろう。仕事は人間を向上させ、活力を与え、その最高の能力をひきだすようにうながす。仕事は人間の自由意志をただしい方向にむけ、人間のなかに棲む野獣を手なずけ、よい道を歩ませる。仕事は人間がその価値観を明らかにし、人格を向上させるうえで最良の舞台になる」 人間は仕事がまったく見つからないと、絶望におちいるが、それは単に収入がなくなるからではなくて、規律ただしい仕事だけがもっている、ひとを豊かにし、活力をあたえる要素が失われてしまうからだ。そこで問いを出そう。仕事とは人間存在目的どうかかわっているのだろうか?人類すべての真の教えのなかでは、この世にうまれてきた誰もが、生存のために働くだけでなく、完成にむかって努力すべきものであると広く認められてきた。 「より大きく、より速く、より豊かに」ということが人間の仕事をゆがめ、その結果、ある法王が述べたように「工場から死せるモノが改良されて世に出てくるが、その一方でそこにいる人びとは腐敗し、堕落している」、さらに環境の悪化と再生できない資源の急速な枯渇を招いている。 「人間の顔をしたテクノロジー」というものをつくりだすために、研究・開発費を投じることはできないのだろうか?「人間の顔」とはまず、人間存在のスケールを反映するものである。つまり、組織や機械の一部を人間のスケールにあわせて小さくすることを模索すべきである。多くの人たちが、独立し、自分を頼みにし、自分自身の主人公となるチャンスを望んでいる。自分の足で立ちたいと願い、またそれができる人たちにチャンスをあたえる小規模の設備やミニプラントはないものだろうか。どこをみても、無数の人びとが人間らしいといえる生産過程から排除されているからだ。 「人間の顔をもったテクノロジー」とは、現在の巨大主義に対抗して、小さいことを選択するだけなく、複雑さに対抗してシンプルであることを選ぶ。複雑さというものは、それ自体が過大な規模と人間的な要素を排除することの結果であることが多い。 これらはすべて、人間のスケールと、人間労働の人間化に関連しており、仕事をする男女が、たとえパンのために働いているときでさえも、生きがいを感じ、創意にあふれ、幸福で、一言でいえば、本当の人間でありうるように、人間存在を生産過程にもう一度合致させるのに適している。 ゆるがせにできないことがひとつあるとすれば、それは、ゆがんだ仕事から正気の社会はうまれないということである。もし何百万人もの若者たちが「おろかな大人になったりり、何百万人もの男女が生涯にわたって創意を圧殺し、頭脳をむしばむような仕事を強制されたり、あるいはまた、世の中に役に立つ生産的でクリエイティヴな仕事のすべてか、その多くが、巨大企業がコントロールする機械にもってゆかれてしまい、生きている人間はもはやレジャーや余暇にしか充足感を得られないというのでは、正気の社会がうまれるはずがないのだ。」 「人間の顔をした仕事」がない社会から、正気の若者がうまれるはずがない。
by illcommonz
| 2012-11-04 15:54
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