かつてモフセン・モフマルバフはこう云った。「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり、自ら崩れ落ちたのだ」と。それと同じことだ。「太陽の塔は倒壊したのではない。恥辱のあまり、自ら倒壊したのだ」。では「太陽の塔」は何に絶望したのか?そんなこと聞くだけ野暮である。「太陽の党」を名のる老人と、それに群がるとりまきどもたちにである。そう、太陽の塔は、「原発も消費税もささいな問題だ」などと平気で云ってのけるばかに絶望したのである。それ以外にも、このくにでは、大飯原発の再稼動、消費税増税の強行採決、オスプレイの強行配備などなどなどなどなどなどなどなど、大きな力が小さなものたちを平気でふみつけにし、人びとの悲鳴や声を圧殺するようなことばかり続いている。もともと太陽の塔は、「今日の世界を支えているのは、どこにでもいるふつうの人たち(common man)だ」という岡本太郎の考えにもとづいて、無名の人びとが集い、交歓するためのトーテムポールのようなものとして建てられた。にもかかわらず、その文化遺伝子が、老朽化した権力の亡者たちどもによって勝手に書きかえられたことに太陽の塔は絶望し、恥辱のあまり、自ら倒壊したのである。
(参考)
「岡本太郎は「そこに広がる広場に集う世界各地の人々こそが、人類の調和を示す展示の一部だ」と言っています。エスカレータを降りた観客の背後には、世界を支える無名の人びとの写真展示が用意されています」(
「EXPOの文化遺伝子ミームは今」より)
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「石原新党「太陽の党」で届け出」
「石原慎太郎前東京知事が結成する新党「太陽の党」は13日午前、東京都選挙管理委員会を通じ、総務相に政党設立と党規約、綱領を届け出た。代表者は石原氏とした。実際は母体となるたちあがれ日本の党名変更となるため、党本部の所在地は変更しない。石原氏らは同日夕、都内のホテルで記者会見し、新党結成と主要政策などを発表する。」(産経新聞 2012年11月13日)
(おまけ)
「石原新党」には「太陽の帝国党」という党名のほうがふさわしいと思う。とっとと選挙で、「涙に沈む太陽の党」になってもらいたいものだ。
▼こぐれみわぞう@koguremiwazow
「お天道様に顔向けできないような人が、「太陽の党」という畏れ多い名前をつけた。太陽は、昇るばかりか沈むもの。ここはおそらく、落日の太陽が然るべきところへ、石原さんというおじいさんの手をひいて導いてくれることでしょう。偉大なる自然への畏怖を、ご老人に今更でも感じて頂けるよう祈ります。」(
こぐれみわぞう 2012年11月14日のツイートより)