山本太郎のこういう話を、日本のテレビ局が放映できないのは、スポンサーとのつながりうんぬんというだけではないと思う。このくにの「政治」、もっとはっきり云えば、「統治」のしかたは、国民をたえず失望させ、落胆させ、がっかりさせ、うんざりさせ、辟易させ、呆れさせ、そして、「なにをやってもだめだ」と思いこませ、あきらめさせることで統治するという、陰気くさいな政治である。恐怖によって統治することを「恐怖政治」というが、さしずめ、このくにの統治は「あきらめ政治」である。石原がわざと人を不愉快にさせるような時代錯誤的な妄言をはいてみせたり、安倍が時計の針を逆さにまわすような大政翼賛的な言動をしてみせるのもそのためで、「こりゃひどい、だめだ、なにもかわってない、期待してもだめだ、どうせ年寄りはまた自民党に寝返るんだろう、どうせ若者は投票に行かないのだろう、なにをやっても無駄だ、政治はだめだ」と思いこませるためである。特にこの時期、こういう連中の「夢も希望もない/夢と希望をうばう」ような言動をまともにうけとめていたら、それこそ相手の思うつぼである。(ただし、こいつらが云ったことは、きっちり記憶・記録しておこうと思う。特に石原、ゆるさん)。いっぽう、山本太郎の話は、ひとをその気にさせ、夢や希望を与え、もしかすると「このくにをかえることができるのでは」と思わせてしまう。統治者がいちばんおそれるのはそれであり、日本の統治されたテレビがそんな危険のものを放映できるわけがないのだ。
ところで、あきれたことに、いまだに候補者の名前だけを連呼してまわる選挙カーをみるが、あれはものすごく腹が立つ。うるさいからではない、3.11以前の世界にはもう戻れないのに、まだこれまでと同じやり方が通用すると思っていることに腹が立つのだ。ああいうやつは「カラスにあたまをつつかれろ」と思う。