▼「ムーヴメントの「パルス(拍子/脈伯)」としてのドラムサークル」
(2011年11月5日、ニューヨークのズコッティ公園にて「オキュパイ・ウォール・ストリート」のドラム・ワーキング・グループ「パルス」に参加)
「支配というのは、"こころ"と"からだ"の分断を好むもので、それはアッセンブリー(=集会)と(ドラム)サークルの上にも影をおとしていた。ドラムは「エスニックなもの」とみなされ、有色人種を意味し、集会は「白人」を意味するものになっていた。さらにまた、ドラムは「男性」を、集会は「女性」を象徴するものになっていた。これは、人種やジェンダーの点で、それぞれのグループの実情と一致しないが、なにか本質的なものであるかのようにみなされていた。こうした二極分化こそ、オキュパイ・ムーヴメントが逃れたいと望んでいたものだったが、公園で議論をするオーガナイザーたちは、自分の声すら聞こえないと感じていたし、かたやドラムサークルの方でも、自分たちがやっていることが評価されてないように感じはじめていた。彼(女)らもこのムーヴメントを「やってる」るのだし、実際、この運動をそのはじまりからサポートし、参加者と寄付を集めてきた。いや、ドラムをたたくことだって「運動」なのに、どうして誰もそれを分かってくれないのだろう、と。
だが、総会はこの難局をきりぬけた。「人間マイク」という偶然の発明によって、総会自体がドラムサークルのようなものになる素地ができていたのだ。聞き手たちは、他人の話の調子にあわせて、それを自分自身のからだでくりかえすのだから。ドラムサークルの方でも、ワーキング・グループをつくり、ルールを調整することにした。そのワーキング・グループの名前に「パルス」を選んだのは象徴的で、とても気が利いている。それはドラムサークルがそのまわりにつくりだす「パルス=拍子」を意味するだけでなく、身体のメタファーももりこまれているからだ。「パルス=脈拍」は、"こころ"と"からだ"を分離させず、人間の活力を示すもので、それは新しい考えや経験、よろこびやおそれにふれると、速くなったり遅くなったりするものだ。」
(マーク・グレイフ「ドラムサークル」より抜粋して一部改訳)
「わたしたちは、このムーヴメントのパルスである。パルスが運動をつくりだす。パルスのないものは死んでいる」(パルス)
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[参考]
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「パルスとリトルネロ」
「イルコモンズのふた」 2012年6月8日
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「お前の村の踊りを踊れ」
「イルコモンズのふた」 2012年7月5日