![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() ▼エーリッヒ・ショイルマン「パパラギ」 (邦訳=「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」) 「これは鋭い文明批評の書であり、同時に文化人類学的記録であるとも言える。また、これは一種のSFとして読むこともできれば、一巻の美しい詩集であるとも思える。ポリネシアの酋長ツイアビの記した言葉は不思議な力に満ち、私たちの胸を打つ。私たちは私たちの信じている(と思っている)もろもろの価値が、根本から否定されるのを見て、恐ろしくなり、また愉快にも感じる。」(谷川俊太郎) 「神がサモアの酋長ツイアビの言葉を借りて文明批評を書いた。一九二〇年のことだ。批判は鋭く、それでいて南の風のように、ゆったりとしており、ときに嵐のように激しい。驕る文明はこの批判を素直に受けねばならないだろう。この本は反文明の鏡に映された僕ら自身の姿である。」(浅井慎平) ![]() ▼演劇版「パパラギ Le Papalagui」 「パパラギは私たちのことについてこう言う。「きみたちは貧しくて不幸せだ。きみたちには多くの援助と同情が必要だ。きみたちはなにも持ってないではないか」と。物とはなにか。物にはふたつの種類がある。ひとつはヤシの実や貝やバナナのように、私たち人間がなんの苦労も労働もせず、あの大いなる心がつくりだすものである。もうひとつは、指輪や皿やハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働をしてつくりだすものである。紳士がいう物とは、彼が自分の手でつくった、人間がつくったもののことであり、私たちが持っていないといわれるのは、こうした物のことである。しかし、いったい誰が、私たちよりも豊かであるだろうか、大いなる心がつくりだした物を、誰が私たちよりもたくさん持っているだろうか。みまわしてみなさい。すべては大いなる物にみちあふれているではないか。鳩やハチ鳥、オウムたちの棲む原生林、ナマコや貝やエビ、あかるい顔と柔らかな砂の皮膚をもつ海岸、刻々に色が移りかわる青い大空。どうしてこれらの物のうえに、おろかにも、それ以上の物を作らねばならないのか。いうまでもなく、パパラギはそういうものが作れると信じている。パパラギは、ゆく先々で大いなる心が作ったものをこわしてしまうから、自分が殺したものをもう一度自分の手で生き返らせようとするのだ。そうすることで、本当は自分がなにも持っていないことを忘れようとするのだ。パパラギは貧しく、その国はみじめだから、物をつかんで集めはじめる。そのために、私たちをねたみ、私たちが彼らを同じように貧しくなればいいと思っている。物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きていけない。少ししか物を持たないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。私たちなら、食事の鉢のほかは何も持たなくても、歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にそんな人間はひとりもいない。 彼らは物をつくらねばならない、彼らは物を見張らねばならない。物を手に入れるために、冷酷な心であらゆる罪を犯す。名誉のためにでも力比べのためでもなく、ただただ物のために、たがいに争いあう。私たちの国をよく知っている人がこういうのを聞いたことがある。「欲、それが物だ。そうすればきみたちも、もっと仕事をする気になるだろう」と。兄弟たちよ、私たちは目覚めていなければならない。澄んだ心を持っていなければならない。私たちは、あの大いなる心がつくりだした物のほかには、ほとんど物など必要ではないということを決して忘れてはならないのだ。」(ツイアビ「たくさんのものがパパラギを貧しくしている」よりサンプリング) ▼映像版「パパラギ Los Papalagi」 ![]() ▼チャールズ・チャップリン「モダンタイムズ」 「どのパパラギも職業というものを持っている。職業というものが何かを説明するのはむずかしい。たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。おのずから職業はひとつだけになる。だから、たいていのパパラギが、その職業ですることのほかは何もできないということが起きる。できることはたったひとつだけ、というこの能力には大きな欠陥と危険がある。大いなる心が、私たちに手をくださったのは、木の実をもいだり、沼から芋をひきぬいたりするためである。あらゆる敵から身を守るためであり、踊りや遊び、そのほかすべてのたのしみをたのしむためである。まったく同じくりかえしの仕事ほど、人間にとってつらいことはない。彼らの顔は灰色のように暗い。仕事が楽しくないからである。職業があらゆるよろこびを食いつぶしてしまったからである。それゆえ、職業を持つ人びとの心には、憎しみの炎が燃えている。この人たちの心は鎖でしばれれ、逃げようとしても逃げられない獣のような何かがある。そしてこの人びとは、他人をうらやみ、嫉妬しながら、おたがいの職業をくらべあい、その職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくをならべている。そうではなく、すべての職業は、それだけでは不完全なのだ。なぜなら人間は、手だけでも、足だけでもなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭もみんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょにはたらいて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。だが、人間の一部だけを生かそうとすれば、ほかの部分はみな死んでしまうほかない。こうなると人はめちゃくちゃになり、やけになり、そうでなければ病気になる。パパラギの生き方は、職業のためにめちゃめちゃになっている。しかし、そのことに彼らは気づこうとしない。」(ツイアビ「パパラギの職業、そしてそのために彼らがいかに混乱しているか」よりサンプリング) ▼チャールズ・チャップリン「モダンタイムズ」 「パパラギはいろんなものをつくりだす。私たちにはとても作れない、とても理解のできないものばかりで、私たちの頭には、ただの重たい石にしか思えない。それらの物は、私たちがほしいというようなものではない。機械、それには大きな力が潜んでいる。機械とはなにか、私の頭の力では説明するのがむずかしいが、このことだけは分かっている。機械が黒い石を食って力をつくるということ、人間にはとても出せないような力をだ。パパラギは努力して神になろうとする。だが、神はなお、最大のパパラギの機械よりも大きく強い。水も火も神につかえる。パパラギのだれひとりとして、月の動きを、風の向きを、自分の思いままにきめられてものはない。そうである限り、パパラギのおこなう奇跡にたいした意味はない。彼らの奇跡には、かくされた不完全さがある。機械は見張り番と監督がいなければ働こうとしない。そしてどの機械も、そのなかに呪いを秘めている。というのは、たとえ機械がどんなものでもつくれるとしても、そのとき、私たちがつくる手づくりのものにこめられている愛情を食ってしまうからだ。機械がつくったものは、私にとっては、血の通わない、無情のものにすぎない。それは完成しても、その苦労について語ることもできず、微笑むことももない。それを両親に捧げて喜ばすこともできない。機械がなんでも即座につくりだすので、パパラギはどんなものにも愛情を持たなくなってしまった。それこそが機械が持つ大きな呪いなのである。この愛なき奇跡をうけいれるために、パパラギは自分の心を機械に食わせなければならないのだ。」(ツイアビ「機械は大いなる心より弱い」よりサンプリング) ▼ジャミー・ユイス「神さまたちは頭がおかしくなったにちがいない」 -------------------------- 「『パパラギ』は、1920年にドイツで画家で作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍である。サモアの酋長ツイアビが訪問したヨーロッパについて話した演説をまとめたものとしているが、実際はショイルマンの手になるフィクション(偽書)である。文化人類学者の間では、ツイアビの演説がサモアの話法とは異なっていることなどから、この本は実際にはツイアビの演説をまとめたものではなく、ショイルマンの創作だと考えられてきた。近年の研究により、ツイアビは現地語で「酋長」を意味する言葉であり、本書でツイアビとされている人物はアガエセ(Agaese)という名のドイツ軍の軍属で、ヨーロッパを訪問したこともなかったことなどが分かっている。しかし、ドイツ及び日本での出版時にはフィクションとの断り書きがなかったので、真実だと取り違えている人も多い。」(Wikipedia) ----------------------------- 【参考】 「この丸い星の、「豊かな」国々でも、「貧しい」国々でもないところに「灰色」が棲んでいました。灰色は、人ではありません。灰色は「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲んでいました。そのお金の塊を、どんどん大きくすることだけが、灰色の考えていることでした。灰色は、すべての人のする、すべてのことを、急いで「大きなお金の塊」につなげてしまおうとしていました。このころ、「大きなお金の塊」は、この星の四倍もの大きさになっていました。」(小沢健二「うさぎ」) 「労働には二種類ある。生活を楽しく晴れやかにする労働と、単なる生活の重荷でしかない労働だ。一方には希望が含まれており、他方にはそれがない。前者をおこなうのは、人間らしく、後者の労働は、拒否するのが人間らしい。大事なのは、労働者が労働のなかで変化とよろこびを手に入れることだ。これによって、すべての労働によろこびという刻印が押される。だがこれらは、文明社会の労働からは消え失せてしまった。」(ウィリアム・モリス「意義ある労働と無意味な労苦」) 「仕事というものを、労働者にとって無意味で退屈で、いやになるような、ないしは、神経をすりへらすようなものにすることは、犯罪すれすれである。人間性はおもに仕事をつうじて培われる。自信をもってのびのびと仕事をすれば、仕事をする当人とその産物はすばらしいものになる。「より大きく、より速く、より豊かに」ということが人間の仕事をゆがめ、その結果、ある法王が述べたように「工場から死せるモノが改良されて世に出てくるが、その一方でそこにいる人びとは腐敗し、堕落している」、さらに環境の悪化と再生できない資源の急速な枯渇を招いている。ゆるがせにできないことがひとつあるとすれば、それは、ゆがんだ仕事から正気の社会はうまれないということである。」(エルネスト・シューマッハ「スモール・イズ・ビューティフル」) 「人類がせめて一度だけでも、のんびりしているのを見られたら、どんなにすばらしいことだろう。ところが、仕事、仕事、に次ぐ仕事だけなのだ。僕たちが偏狭なのは、目的ではなく、手段にすぎない貿易や商業、工業、農業というようなものへの献身によって、僕たちがゆがめられ、せばめられてしまったからである。人が金を得るための道は、ほとんど例外なしに、人を堕落させる。ただ金を稼ぐために何かをするということは、怠けているのと同じか、それよりも悪い。あらゆる偉大な事業は、自給自足的である。生計は愛することによってたてなければならない。」(ヘンリー・デヴィッド・ソロー「無原則な生活」) 「曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた。そこには芸術も宗教もあった。いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである。宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い。芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した。いま宗教家・芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである。われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ。いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」(宮沢賢治「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」)
by illcommonz
| 2013-06-11 22:35
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