
「かつては「話し言葉」だけが世界を占めていた。そこには「文字の声」が溢れていた。その文字の大半は、声をたてて読む文字だった。そこは音読社会だったのである。やがて次々に文字を発明した部族や民族が出現した。その文字はたちまち横に伝播していった。それがいつのまにか「書き言葉」が、社会文化の主流を占めるようになった。黙読社会の登場である。この「書き言葉」の社会文化は、たちまち世界を席巻していった。それによって「書き言葉」が告げている意味が理解されやすくなったかどうかは別として、ともかくすべて目に見えるようになった。この“革命”には後戻りがなかった。「書き言葉」は次々に独自の工夫をしくんで、圧倒的な文化の多様性をとりこみ、かつての「話し言葉」によるさまざまな可能性に、決定的な変更を加えてしまったのである。のみならず「書き言葉」の権威は、人間の心の内側を記録に残させ(日記など)、人間関係の悪化を記録にとどめさせた(讒言・訴状など)。「書き言葉」は社会の諸関係に、ときに排除を加え、ときには法による規制を加えて(たとえば文書の重視)、新たな言語文化による社会をつくりなおしてしまったのだ。」(松岡正剛「松岡正剛の千夜千冊:ウォルター・オング「声の文化と文字の文化」より抜粋して一部改変)
かつて自分が文化人類学者のたまごとして暮したアフリカの田舎の村では、声を出さずに、ひとりでじっと黙って、字を読んだり書いたりするのは、「妖術師」(=嫉妬や恨みから誰かに呪いをかける者)だといわれていた。つまりそれは、利己的で、没社会的で、よくないことだとされていた。ソーシャル・ネットワーク・サービスのあやうさは、それが「書き言葉/文字」のネットワークであり、そこでいうソーシャルとは「黙読社会」のそれであることとおそらく無関係ではないと思う。