![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() いまイスタンブールのゲジ公園とタクシム広場で起きていることを見守りながら、小平の雑木林のことや渋谷の宮下公園のことを考えていたら、2003年に雑誌「現代思想」に寄稿し、2007年に台湾のサイトでとりあげられた文章のことを思い出した。 「いま、怖れられ憎まれているのは、もしかすると公園という場そのものじゃないかという気がするんだ。あの禁止の多さがなによりの証拠で、公園という場所自体が恐怖の対象になっていうんじゃないかと思った。怖れているからこそあんなに禁止が多いんだと思った。云うまでもないことだけど、公園は人が勝手にただで休憩し、余暇を楽しみ、自由に何かをする場所だ。だから、いってみれば公園は、資本主義のテリトリーとそのコードからはみだしたフリーゾーンで、資本や通貨の流れから外れた残余の場所だ。帝国の中に最後に残った野生の地だ。帝国の生活に塗れきってしまった僕らは、その最後の希望の地かもしれない公園という場の力を読み違えてしまって、それを怖れてしまっているんじゃないだろうか。これは微妙な感覚なんだけど、例えば僕らは、ただで何かモノを手にいれることや、ただでモノをもらうことに妙な居心地の悪さを感じるし、休憩や娯楽ですら資本に管理された価格のあるものの方を求めるようになっている。カラスがセミを食うことに何かイヤな感じを覚えたり、タダのものに不信感や警戒心を覚えるという始末だ。あらゆるものにお金を払うことに慣れすぎてしまって、消費者根性とでも呼びたくなるような卑しさが身についてしまっている。無償のモノのなかで生きる感覚や想像力をなくしてしまっている。落書きのような無為な行為に手を染めることをつい臆してしまう。 ![]() ![]() そんな僕らは、ライセンスのないとりひきやパッケージのないたべもの、レシートのない品物やビジネスのないつきあい、コピーライトのない歌やイズムのない思想。マーケットのない努力やプライスのないただのサービス、そういう資本主義生活のやりくり(エコノミー)から外れたモノや事件に囲まれた野生の暮しというものを想像することすらできなくなってしまっているために、公園を怖れてしまってるんじゃないだろうか。」 (イルコモンズ「さよなら落書きなき世界:街をノックする者を怖れているのは誰か?」『現代思想』2003年10月号 特集=グラフティより転載) ![]() ![]() ▼「誰怕公園? 誰憎恨公園?」 「今天讀小田昌教的論文,他提到西荻窪的某個公園-西荻窪位於杉並區(鄰接武藏野市),那個社區的氣氛跟吉祥寺一帶還蠻像-,我看他對那裡的公園的描寫很有感覺,我上次回東京時對社區公園有怪怪的感覺,沒有想到還有其他人也有類似的感覺!東京郊外「品質良好」的中産階級住宅區居民、資本家和政府都害怕、痛恨像公園那樣免費可使用的公共空間。他們用各種各樣的禁止看板,要把人?走!不好意思,我先放原文,等我弄好中譯之後再貼。」(「PC Home 映城」2007年6月5日) ![]() 「誰怕公園? 誰憎恨公園?」というタイトルからして、何が書かれているのか気になる。イスタンブールと東京を、台湾と小平を、そしていろんな国や地域で、グローバルに起きていることをつなげて考える、なにかヒントがあるのではないだろうか。台湾語がわからないのが残念だ。 [追記] 沖縄から、となりの街に越してきた、ミュージシャンで、中国文学研究者の、森美千代さんが訳してくれました。(ちなみに原文は、台湾語ではなく、中国語だそうです) ▼「誰が公園を恐れているか? 誰が公園を憎んでいるか?」 「今日、小田マサノリの論文を読んだ。彼は西荻窪のとある公園---西荻窪は杉並区(武蔵野市のとなり)にあり、町の雰囲気が吉祥寺あたりとよく似ているところ---について書いていて、その公園についての描写にすごく共感するところがあった。わたしは前回東京に戻ったとき、町の公園に違和感を覚えたんだけど、わたし以外の人も同じような感覚を抱いていたなんて、意外だった。東京の郊外にある、中産階級の「まあまあいい」住宅街に住む住民や、資本家や政府はみな、公園のようなタダで利用可能な空間を恐れ、憎んでいる。彼らはさまざまな禁止事項の看板を使って、人々を追い出そうとしてるんだ!ごめんなさい、まずは原文を載せておきます。中国語に訳したらまた貼っておきます。」(訳=森美千代) 「同じような感覚」を持っている人たちはどこにでもいるということがわかりました。ありがとうございます。 --------------------------------------- ![]() ▼「反政府デモ隊を強制排除、トルコ 44人負傷、衝突続く」 「反政府デモが続いているトルコの最大都市イスタンブールで、同国警察は15日夜、デモ隊が占拠するゲジ公園に突入、催涙弾や放水車を使って公園からデモ隊を強制排除した。突入当時、公園周辺には数千人のデモ参加者が集まっていた。イスタンブールのムトゥル知事によると44人が負傷。重傷者は出ていないという。公園から追い出されたデモ隊と警官隊の激しい衝突がさらに続いている。反政府デモの全国拡大から2週間以上が経過。トルコ情勢は懸念されてきた警官隊とデモ隊との全面衝突に発展し、重大局面を迎えた。」(2013年6月16日 共同通信)
by illcommonz
| 2013-06-17 19:13
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