「エコロジーはひとつだけではない。自然環境について考えるだけが、エコロジーではない。ひとの心や精神にも生態系があり、社会や経済のうちにもエコロジーがある。ネットのような「情報の海」もまた独自の生態系をもっているかもしれない。」(和光大学市民大学前期講座「四つのエコロジー」2013年)
「いま、エコロジーの思想が広がりつつあるが、この思想も、生まれたそばから政治と商業の場に持ち運ばれ、矮小化されてしまっているというのが実状である」(グレゴリー・ベイトソンン「生きた世界への招待」1977年)
「エコロジーという言葉について、誤解が起きないように云っておきます。エコロジーとは、すでに破壊された自然を回復することだというふうに解釈されていますが、それはせまい間違った解釈です。自然を救うということに話を絞って、エコロジーという言葉を、生物の世界にだけに狭めることには反対です。現在の状況では、自然を救えないし、自然を回復できない以上、どのような社会が、社会エコロジー的にみて、本当に生物を救い、自然を救うのに役立つのか、あるいは、意味があるかという社会改革の問題が先に来るべきなのです」(ヨーゼフ・ボイス「東京藝大講演」1984年)
「あらゆるものがあらゆるものとつながっている」と考えるのがエコロジーの考え方である。自分の「からだ」と「こころ」と「自然」がつながっていると考え、「癒し」や「絆」を求めようとするエコは多いが、「社会の荒廃」と人びとの「すさんだ心」と「国の政治」がつながっていると考え、それを変えようとするエコは少ない。しかし、なかには、差別、鬱、詐欺、殺人、自殺、貧困、暴力、労働搾取、失業、いじめ、そして、原発のニュースをみるたび、そのすべてが自民党とつながっていると考え、社会エコロジー的にみて、自民党の生態系を亡ぼしたほうがいいと思っているエコもあると、選挙がはじまる前に書きとめておこう。(イルコモンズ 2013年7月2日)