(
「文化人類学解放講座」より転載)

今日の講義では「コヤニスカッツィ」を見ました。
はじめからおわりまで一瞬も見のがさずぜんぶ見た人は、さすがに、
ぐったり、つかれ果てたことだろうと思います。でも泣いても笑っても、
これが僕らが生きてる世界です。
世界の終わりや終末を暗示するような映像や予言もありましたが、
この映画はゴールではなく、あくまで、スタートだと考えて下さい。
というのも今のところ、この地球以外に人が暮らしてゆける場所は、
ないので、さしあたりこの世界のどこかに自分たちが生き(のび)て
ゆく場所を見つけてゆくよりほかないからで、この映画はその場所
さがしの、はじまりなのだと考えて下さい。
それに実のところ「グローバリゼーション」というのは、この映画の
直後からはじまるのです。グローバリゼーションについての講義の
第一回目の今日は、「グローバリゼーション」というものを、まずは、
この映画をとおして目撃したような、バランスのこわれた生活や
きちがいじみた人生が、地球の残りの部分にまでひろがってゆく
プロセスだと考えておいてください。それと、その残りの部分は
もうかなり少なくなってきているのだいうことも忘れずに、一緒に
つけくわえて考えておいてください。
では、このつづきは、また来週。

[追記] この映画と文化人類学の
つながりがわからなかった人は、
このドキュメント映画は「火星人
の文化人類学者」が二〇世紀末
の「地球の文化」を研究してつく
った映像による「地球の民族誌」
だと考えてみてください。そういう
ふうに考えたらつながりもわかる
でしょ。