はじめに、ふた、ありき
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▼秋山理央「ヘイトデモに抗議して道路に座り込むカウンター・プロテスター達 - 2013.9.8 新宿・大久保通り」(4分7秒) 「わたしたちが生きる社会に、「表現の自由」はあるが、「差別の自由」などというものは存在しない。もしそういうものが現れたら、それを見すごしにせず、くいとめることが、わたしたちの義務であり、「表現の自由」はそのためにある。」(イルコモンズ「差別撤廃・東京大行進 賛同人コメント」) まずはじめに確認しておかないといけないのは、ここで「かえれ!」と云っているのは、警官や機動隊員たちに対してではなく、この交差点の手前にいるレイシスト(人種差別者)たちとそのデモに対してである。大勢の人が車道に身を投げ出しているのは、レイシストたちの卑劣なデモを、どうにかこの場でくいとめ、この先の道を通さないようにするためである。司法も、行政も、立法も、なにもあてにならないとき、生身の人間が非暴力でデモをくいとめるのに、ほかにどんな方法があるだろうか。あるのなら、おしえてほしい。したがって、これは「ダイ・イン」ではなく、明確な意思と決意を持った「シット・イン」である。あるいは、「人間の鎖」ならぬ「人間の壁」である。レイシストたちへのカウンターアクションがこのように、「抗議」のフェイズから「抵抗」のフェイズに変わった(そう、「いつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった」)瞬間の、その場所に、秋山理央はいつものようにちゃんといて、この「市民的不服従」の風景を映像に残していた。 レイシストたちがまた同じようなデモをやれば、これと同じような風景がまたどこかに現れるはずなので、東京都の公安委員会と警察署は、このことから学んで、レイシストたちが主催するデモに「中止」を通告しつづけるべきだと思う。それともうひとつ。現場に配置された機動隊員たちは、もっと冷静に、かつ、礼節と敬意をもって、座りこんだ人びとに接するべきだと思う。現に、この日の別のシット・インでは、女性には女性の機動隊員があたり、もっと丁寧に接していたのだから、できないはずがない。やればできることだ。車道に座り込んだひとりひとりに声をかけ、顔をみて説得し、そのうえで、その腕なり脚なりを持つことを断ってから、丁寧に外に連れ出すべきである。そこに座りこんだひとりひとりは、社会的にも人道的にもゆるされないことに怒りをおぼえ、自分が「ただしい」と信じていることを、ひとつきりしかない自分の身を投げ出してやろうとしている、ひとりの人間なのだから、その気持ちは、同じようなことを職務とするはずの警官や機動隊員にもわからないはずはないだろう。自分がつかんでいる腕や脚にそういう人間の良心の重みを感じてほしい。人命救助するときと同じくらい丁寧に接してもらいたい。ひとをモノのようにあつかってはならない。 ------------- [追記] 上の動画で、ぷらぷらする自分の手の動きをみて分かったのだが、われながらみごとな「ぐにゃっ」ぶりである。なにしろ、履いてた靴がぬげてしまったぐらいの「ぐにゃぐにゃっ」である。ということで、昨日はちゃんと長袖のシャツと長ズボンを身につけて、「ぐにゃっ」としてたので、かすりキズひとつしませんでしたから、どうかご心配なく。>両親 [参考] 市民的不服従の理論と技法 「市民的不服従とは、ある種の法律や、政府ないし支配的権力による要請・命令に従うことを非暴力的手段を通じて積極的に拒否することを指す。市民的不服従を積極的な仕方で表現するときには、ある種の法律にわざと違犯することにもなる(例えば、スクラムやバリケードによって移動を妨害するとか、軍事基地を不法占拠するなど)。抗議者は自分がその行動によって逮捕されることになるだろうし、場合によっては当局から攻撃を受けたり殴打されることになるとも予期しているが、こうした非暴力的な仕方で、市民的不正行為は実行されるのである。逮捕や攻撃をされた時、どう反応すればよいのか、抗議者があらかじめ訓練を積んでおくことも多い。そうすれば、いざという時、取り乱したり思わぬ行動を取ったりして、当局に脅威と思われてしまう恐れがないからである。」(ウィキペディアより) [追記2] ▼秋山理央@RIO_AKIYAMA 「昨日の新宿のヘイトデモの警備には警視庁機動隊のエース"DJポリス"が来てたんだから、彼に「怖い顔をしたお巡りさん、皆さんが憎くてヘイトデモの警備をやっているわけではありません。心ではレイシストを憎んでいるんです!」くらいのスピーチしてもらってもよかったんじゃないの。」(2013年9月9日)
by illcommonz
| 2013-09-09 19:48
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