
「ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それは、たとえば「倫理」であり、たとえば「規範」です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単にもとどおりにはできません。
そこなわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。それは、素朴で、黙々とした、忍耐を必要とする仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人びとが、そろって畑にでて、土地をたがやし、種をまくように、みんなで力を合わせて、その作業を進めなくてはなりません。ひとりひとりが、それぞれにできるかたちで、しかし、こころをひとつにして。
その大がかりな「集合作業」には、言葉を専門とする我々、職業的作家たちがすすんで関われる部分があるはずです。我々は新しい「倫理」や「規範」と、「新しい言葉」とを連結させなくてはなりません。そして、生き生きとした「新しい物語」を、そこに芽生えさせ、立ちあげなくてはなりません。それは我々が「共有できる物語」であるはずです。それは畑の種まき唄のように、人々をはげます「律動(リズム)」を持つ物語であるはずです。
大きな自然の力の前では、人は無力です。そのようなはかなささの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちたはかない世界にありながら、それでもなお、生き生きと生き続けることへの「静かな決意」、そういった「前向きの精神性」も我々には具わっているはずです。
我々は夢を見ることをおそれてはなりません。そして我々の足どりを、「効率」や「便宜」という名前を持つ「災厄の犬たち」に追いつかせてはなりません。我々は力強い足どりで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかし「ヒューマニティ(人間らしさ)」は残ります。それはいつまでも受けつがれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。」(村上春樹)