![]() はじめに、ふた、ありき
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▼ヒラリー・ハリス「有機体」(1975年) ▼イルコモンズ「文化人類学解放講座B」 [時間] 2013年9月25日(水)15:00~16:30 (※毎週水曜4限) [場所] 中央大学3号館1階3114教室 [第一講] 社会学的めまい:コペルニクス的転換 「コペル君は、叔父さんと二人で、銀座のあるデパートメント・ストアの屋上に立っていました。コペル君は黙って、すぐ下の銀座の通りを見下ろしていました。降っているのか、いないのか見分けにくいほど細い霧雨が灰色の空から静かに絶え間なくおりてきて、コペル君の外套にも、ちいさな銀色の水玉がいっぱいつきました。7階建ての上からみおろす銀座通りは、細い一本の溝でした。その底を、たくさんの自動車が、あとからあとから続いて流れてゆきます。流れのあいだには、ところどころに、電車がいかにも、もの憂そうにのろのろと走っていました。玩具のように小さくみえる、その電車の屋根は濡れていました。いや、自動車も、アスファルトの路面も、立ち並ぶ街路樹も、何もかもみんなびっしょり濡れて、光っていました。黙って見下ろしているうちに、コペル君には、ひとつひとつの自動車が何か虫のように思われてきました。銀座通りが次第に遠く狭くなっていって、京橋のあたりは、彼らの巣の出入り口のように見えるではありませんか。奇妙な想像にふけりながら、コペル君はしばらく京橋のあたりを見つめていましたが、やがて顔をあげました。眼の下には、雨に濡れた東京の街が、どこまでも続いて、霧雨の中に茫々とひろがっていました。それは、見ているコペル君の心も沈んでくるような、暗い、寂しい、果てもない眺めでした。東京に生まれて東京に育ったコペル君ですが、こんなまじめな、こんな悲しそうな顔をしている東京の街を見たのは、これがはじめてでした。すると、コペル君の心の中に、今までにはなかった一つの変化が起こってきました。最初にコペル君の眼に浮かんできたのは、雨に打たれている、暗い冬の海でした。眼の下の東京市が一面の海で、ところどころに立っているビルはが、その海面からつきでている岩のように見えてきたのでした。コペル君はその想像のなかで、ぼんやりと、この海の下には、人間が生きているんだと考えていました。ふと、その考えに自分で気づくと、コペル君はなんだか身震いがしました。びっしりと大地を埋め尽くしている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている、それは当たり前のことでありながら、恐ろしいような気のすることでした。こうして見下ろしている今、その人たちは何をしているのでしょう。何を考えているのでしょう。それは、コペル君にとって、まるで見通しもつかない、混沌とした世界でした。 ▼ゴドフリー・レジオ「コヤニスカッツィ」(1982年) 「叔父さん。」とコペル君は話しかけました。 「いったい、ここから見えるところだけで、どのくらいの人間がいるのかしら。」 「さあ」といったまま、叔父さんにも、すぐには返事ができませんでした。 「まあ、いってみれば何十万人、いや、ひょっとすると、百万を越すくらいな人間が、海の潮のように、満ちたり、ひいたりしているわけさ。」 叔父さんもコペル君もしばらく黙って、眼の下の東京市を見つめました。この下には、疑いもなく何十万、何百万の人間が、思い思いの考えで、思い思いのことをして生きているのでした。コペル君は、何か大きな渦のなかに、ただ漂っているような気分でした。 「ねえ、叔父さん。」 「なんだい。」 「人間って…」と言いかけて、コペル君はちょっと赤くなりました。でも、思いきって言いました。 「人間って、まあ、水の分子みたいなものだねぇ」 「そう、世の中を海や河にたとえれば、一人一人の人間は、たしかに、その分子だろうね」。 ふと、コペル君は、自動車の流れの中に、一台の自転車の走っているのを見つけました。「危ない!」と屋上のコペル君は心のなかで叫びました、今にも自転車がはねとばされるかと思ったのです。しかし、眼の下の少年は、すばやく身をかわして、その自動車をやりすごしました。どこの小僧さんで、何の用事で走ってゆくのか、無論、コペル君にはわかりませんでした。その見ず知らずの少年を、自分がこうして遠くから眺めている。そして、眺められている当人の少年は、すこしもそれに気づかない、そのことは、コペル君には、なんだか奇妙な感じでした。 「叔父さん、僕たちがあすこを通っていたときにさ、誰かが、この屋上から見てたかもしれないねえ。」 「いや、今だって、ひょっとすると、どこかの窓から、僕たちを眺めている人があるかもしれないよ。」 叔父さんにそういわれてみると、窓がみんなコペル君のほうに向かっているように思われます。中に人がいて、こちらを見ているかどうかはわかりませんでした。しかし、コペル君は、どこか自分の知らないところで、じっと自分をみている眼があるような気がしてなりませんでした。コペル君は妙な気持ちでした。見ている自分、見られている自分、それに気づいている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分がコペル君の心の中で重なり合って、コペル君は、ふうっと、めまいに似たものを感じました。コペル君の胸のなかで、波のようなものが揺れてきました。いや、コペル君自身が、何かに揺られているような気持ちでした。コペル君は、だいぶ長い間、黙りこんでいました。 「どうしたのさ。」 叔父さんがしばらくして、声をかけました。コペル君は夢からさめた人のような顔をしました。 「さっき何を考えていたの。」と叔父さんがたずねました。 「………」 コペル君はなんとこたえていいかわかりませんでした。で、黙ってました。 しばらくして、コペル君が言いました 「僕、とてもへんな気がしたんだよ。」 「なぜ?」 「だって、叔父さんが人間の上げ潮とか、人間の引き潮とかいうんだもの。」 「………」 叔父さんが、わからないというような顔をしました。すると、コペル君は、急にはっきりした声で言いました。 「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、ほんとうにそう思っちゃった。」 「そうか」と叔父さんは、しばらく考えていましたが、やがてしんみりと言いました。 「そのことはようく覚えておきたませ。たいへん大事なことなんだよ。」 ものの見方について 今日、君が「人間て、ほんとに分子みたいなものだね」と言った時、ずいぶん本気だった。君の顔は、僕にはほんとうに美しく見えた。ほんとうに君が感じたとおり、一人一人の人間はみんな、広いこの世の中の一分子なのだ。みんなが集まって世の中をつくっているのだし、みんな、世の中の波に動かされて生きているのだ。君が広い世の中の一分子として自分を見たということは、決して小さな発見ではない。 ▼コペルニクス「ビコーズ」 君はコペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これはキリスト教の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩、突きいって考えると、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。ところがコペルニクスは、思い切って、地球のほうが太陽のまわりをまわっていると考えてみた。そう考えてみると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。しかし、君も知っているように、この説が唱え始められた当時は、たいへんな騒ぎだった。教会で教えていることをひっくりかえす、この学説は危険思想と考えられて、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったんだ。人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまでに根深く、頑固なものなのだ。コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかり坐りこんでいると考えるかは、世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱりついていまわることなのだ。子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。それが大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になってくる。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごくだいたいのことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけど、こういう自分中心の考え方を抜けきっている人というのは、広い世の中にも、実にまれなのだ。ことに、損得に関わることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよりことだけを見てゆこうとするものなんだ。しかし、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、けっしてうつらないのだ。それと同じことが、世の中のことについてもあるのだ。だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。それは天動説から地動説に変わったようなものなのだから。」(吉野源三郎「君たちはどう生きるか 第一章「へんな経験」より) --------------------- 「ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていました。『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由は著しく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。そのなかで先生(山本有三)は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたいと思いたたれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ、次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかして伝えておかなければならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というものでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神をまもらねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。」(吉野源三郎「作品について」) 「この作品(ケストナー「飛ぶ教室」)には、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」と同じようなものを感じました。時代が破局に向かっていくのを予感しつつ、それでも「少年たちよ」という感じで書かれたものだと思います。読み直してみると、いい話を書こうというだけではなくて、切羽詰ったものがその裏に潜んでいるような気がしました。」(宮崎駿「本へのとびら」) ----------------- いま、このくにでは「偏狭な国粋主義や反動的な思想」をふりまわす野蛮な政府が政権に居座り、誰も気づかないうちに、表現の自由を規制する悪法や、ふたたび戦争のできる国にする悪法をつくろうとしています。また、巷ではレイシスト(人種差別主義者)たちのゆるしがたい蛮行が横行しています。そういう時勢の悪い影響を考え、今期の「文化人類学解放講座」では、次の時代を背負うべき若い受講者たちにむけて、文化人類学の基本の基本である「自民族中心主義」から「文化相対主義」への転換と、人種差別をゆるさないヒューマニティの精神を学ぶこととします。もし希望があれば、他大学でも臨時に講義をおこないます。 [関連] ▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」 http://illcomm.exblog.jp/19705259/
by illcommonz
| 2013-09-24 22:21
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