![▼イルコモンズ「社会学特殊抗議E/いまはどんな時代?」[教材]_d0017381_23484987.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201310/07/81/d0017381_23484987.jpg)
「今はね、これ言っていいのかしら、
今の時代はね、昭和15、16年ですよ。どういう時代だったかって言うとね、軍靴の音がね、聞こえてきた時代でね、戦争になる前の状況に似ていますよ。今の日本は、あの戦争の前とそっくりです。
真実を隠すような時代の後には、必ず戦争が起こる。私は今、日本は非常に危ないと思っています。原発の再稼働も戦争も同じ。私たちは声を上げ、行動しなければいけません。このままでは戦争が起こりますよ。」 (瀬戸内寂聴 FREEDOMMUNE ZERO 2013年7月13日)
「もしいま、日本が、テロ戦争とやらをふくめ、戦争に巻き込まれたならば、そして犠牲者が出たら、場合によっては、六十年前の戦時中同様、かえって熱くなって、多くの人が日本という主人公に勝ってほしいとしか願わなくなるのではないかと心配です。なぜなら、いま、映画でも本でも、「泣ける」「泣いた」というのが価値基準になっているからです。要するに、日頃は心がからからに乾いていて、ばらばらに孤立しているからでしょうか、主人公を応援してうまくいくことをひたすら願い、
やたら感動したがるのです。泣きたがっているのです。オリンピックなんかもそうでした。でも、戦争は映画ではないから、うまくいくかうまくいかないかは、それを応援する願望の強さによって決まるのではなく、冷厳な現実によって決まります。そしていまの映画の巧みな作り手とちがい、戦時中の無能な為政者は、うまくもっていってくれるどころか、ずるずると負け続け、多くの死傷者を出し、やめることもできず、結局、国民を玉砕・原爆・空襲・引揚げ・抑留・長期にわたる沖縄占領などの悲惨な現実に直面させたのでした。
あの戦時中とこれからと、どこが違うでしょうか。むろん、大きく違います。しかし、いまみんな、理性を眠らせて、映画を見ながらうまくいくことだけを願い、それが満たされて、感動の涙を流しています。このような精神状態は、まったく戦時中の前半とよく似ているような気がするのです。で、現実は映画と違うから、やめることもできなくて、ずるずる。深みにはまる可能性がたいへん高いのではないでしょうか。」 (高畑勲「60年の平和の大きさ」)
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