![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() 「行動をともなわない政治意識は、荒廃をみつめ、ものごとの中心部ばかり見ようとします。一方、直接行動をする人たちは、その行動自体のなかにオルタナティヴをつくりだし、中心部の腐敗から視線をズラして、その周辺部や自分たちの側にある奔放な可能性の方に目をむけるので、希望を育むことができるのです。一方、エスタブリッシュされた運命論者たちにとって、このような希望についての考え方は、非常に気に障るもののようです。彼らにとってのニュースとは、救いようのない厄介な知らせだけであり、そのメッセンジャーであることを自認し、またそれをいつもくりかえし教えてくれる。「失意」や「よくないニュース」「困難さ」ばかりを説きたがる人は、それによって「男らしさ」や「いかめしさ」「だまされにくさ」「現実を直視する強さ」を体現しようとしますが、現状は決して避けがたいものではないし、すべての道が下り坂ばかりとは限らないと考える人たちもいます。つまり、希望を持つということは、「女らしい」とか、「子どもっぽい」とか、「甘い」といわれるような、もうひとつのペルソナ(=社会的な人格)をすすんで身につけるということなのです。(レベッカ・ソルニット)」(イルコモンズ「ことしの抱負」(2013年1月9日)より) 「知識人が、現実の亡命者と同じように、あくまでも周辺的存在であり続け、飼い慣らされないでいるということは、とりもなおさず知識人が、君主よりも旅人の声に鋭敏に耳を傾けることであり、慣習的なものよりも一時的なもので、危ういものに鋭敏に反応することであり、上から権威付けられた現状よりも、革新と実験の方に心を開くことなのだ。漂泊の知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動き続けること、決して立ち止まらないことなのである。(エドワード・サイード)」 ![]() 改造したサックスにサイド・ベルをつけるのは、まさにこういうときのためなのである。 「近所の公園でこどもに吹いて聞かせたら「おならの音だ!ぎゃははは」とよろこんでいた。「ぼくも吹きたい」と云うので、こどもに吹かせてみたら、いきなり上の音から下の音までびっくりするほど簡単に音が出たので、タンポの調整もうまくいったようだ。やはり楽器は、音をだすのが「楽」で、音を出すのが「楽しい」のがいちばんである。この世のなかは苦しみや悩みに満ちているので、これ以上、楽器のことで苦しんだり、音楽のことで悩みたくはない。楽器は苦しみから解放され、音を楽に楽しむためにこそあって、それはただしい音程よりもずっと大切なことだと思う。こどもたちは本能的に、ベルに耳をくっつけて音を聞きたがるので、こどもが聞きやすいように空いたトーンホールにトランペットのベルをロウ付けしたら、気のせいか(気のせいだ)、すこし音程がよくなった。そこにトランペットのミュートをつけたら、もっと安定したが、どちらにせよ、もともと自分は音感がわるいので、音程のわるさはあまり気にならない。」(イルコモンズ「サックスの形をしたおもちゃ」2012年5月4日) [写真] Kai-Wai 散策「怒りのドラム街宣」より http://kai-wai.jp/2013/10/post-2115.html 怒りだけでなく、朗らかさやおおらかさがなければ、こどもや異邦人には伝わらない。子どもに伝わらないものは、大人にだって伝わらない。どんなに「こどもっぽい」とか「甘い」といわれても、どのみち自分はこういうふうにしかやれないのだし、それが「ことしの抱負」でもあったのだから、そうするしかない。
by illcommonz
| 2013-10-11 06:21
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