![]() はじめに、ふた、ありき
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▼「サイレントプロテスト」 ▼「絶叫デモはテロ行為」 石破幹事長 市民活動、テロと同一視」 「自民党の石破茂幹事長は十一月二十九日付の自身のブログで、デモ活動について「単なる絶叫戦術はテロ行為と変わらない」と指摘した。テロの定義をめぐっては、特定秘密保護法案の条文のあいまいさが問題視されており、弁護士などからテロの範囲が広がりすぎることへの懸念が示されている。法案の審議が続く最中に、市民の活動をテロと同一視した記述は批判を集めるのは必至だ。石破氏は「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています」とした上で、「いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」と指摘した。さらに「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべき。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」としている。特定秘密保護法案のテロの定義をめぐっては早い段階から議論となっている。法案は一二条で、テロについて「主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で人を殺傷し…(後略)」としている。この部分は(1)「主義主張を強要する目的で人を殺傷」した場合と「恐怖を与える目的で人を殺傷」した場合がテロにあたるという解釈と(2)「主義主張を強要」した場合と「恐怖を与える目的で人を殺傷」した場合がテロ-の二通りの読み方ができる。森雅子内閣府特命担当相は(1)だと主張したが、石破氏の発言は(2)のように主義主張を強要しただけでテロになるととらえているように聞こえる。法案に反対する清水勉弁護士は「普通の法律の読み方だと主義主張を強要しただけでテロになる」と指摘している。」(東京新聞 2013年12月1日) いずれは首相になりたくてうずうずしている幹事長の考えでは、「主義主張を強要」しただけで「テロ」になるらしい。それならまず、この法案自体が「テロ」だということになる。なぜなら、みえない・きこえない・わからない秘密で「多くの人々」に「恐怖を与える」という点で、そうだからである。ちなみに、こういう統治のことを「恐怖政治」とよぶ。そしてそれは「世論の共感」を呼ぶことのできない不人気で無能な統治者たちが好んできたやり方でもある。もし万が一、この「特定活動テロ指定法案」が通って、幹事長が首相になったとしたら、未来のデモや抗議集会はどうなるだろうか。それをダーティーリアリズムのSF小説風にシュミレーションして考えてみた(ちなみに、この幹事長は、「兵役拒否」をしたら、「死刑」か「懲役300年」がふさわしいと考えてるらしいので、誰がどういう理由でいつ死刑になったかも、ぜんぶ軍事上の「秘密」扱いにするのだろう。でも、その話はまた別の機会に)。 まず、チラシやネットのよびかけ文のなかに、このデモや集会の目的は「主義主張の強要」ではなく、「趣味趣向の共有」であるということが、ことさら大きな文字で明記されるようになるだろう。一方、集会やデモの場でのコールの語尾は「~せよ!」「~しろ!」という命令口調ではなく、「~してはどうでございますか?」「~しなくてもよろしいのでしょうか?」という遠まわしで慇懃な口調に変わるだろう。そしてもちろん、それを決して「絶叫」するのではなく、しずかに「ささやいたり、つぶやく」か、あるいは無言で「ツイート」したり、「いいね!」をクリックしながら歩くというものになるだろう。つまり「サウンドデモ」は廃れ、「サイレントデモ」が流行する。そして実は、こういう「サイレントデモ」が一時流行した国がある。かつて、チェルノブイリの原発事故で大きな被害をうけ、いまでは「ヨーロッパ最後の独裁国家」といわれるベラルーシである。以下がその当時のベラルーシのデモのニュース。 「反政府運動への弾圧が強まるベラルーシの首都ミンスクで28日、若者ら約400人が無言の抗議デモを行った。デモはインターネットを通じて呼びかけられた。短時間の集団路上パフォーマンスで、市中心部でデモが禁止されていることに対抗する苦肉の策だ。若者たちは「十月広場」に集合。当局により、事実上廃刊に追い込まれた独立系週刊紙「ナーシャニーワ」を読みながら約20分、市中心部を歩いた。参加者は無言のまま解散したが、私服の公安職員が次々と路上で尋問し、タス通信によると数人が逮捕された。(毎日新聞 06年4月30日) 」(イノレコモンズのふた。「ベラルーシのサウンドレス・デモ」2006年5月1日より無断転載) こうしたこともあってか、ベラルーシは「自殺率の高い国トップ10ランキング」の上位を常にキープし続けている国であり、街頭での「主義主張の強要」や「絶叫」はもちろんのこと、国民が公共の場で「拍手」することさえ法律で禁じられていて、それに抗議すると、こうなる。 ▼ロシアトゥディ「沈黙の叫び」(2011年7月4日) ▼「拍手抗議」デモで350人拘束 経済危機のベラルーシ」 「ベラルーシ治安当局は6日、首都ミンスクなどで、ルカシェンコ大統領の強権支配に拍手だけで抗議の意思を表す街頭デモの参加者約350人を拘束した。タス通信が人権団体の集計として伝えた。ベラルーシでは経済危機の深刻化に伴い、野党への弾圧などから「欧州最後の独裁者」と非難を浴びるルカシェンコ大統領への抗議の印として街頭で拍手をする「沈黙の行動」と呼ばれるデモが全国の都市部に広がっている。6日にはミンスクのほかポーランド国境の西部ブレスト、グロドノや東部モギリョフなどでもデモが行われ、参加者が拘束された。デモの様子を取材していた報道関係者約25人も一時身柄を拘束された。ミンスクでは独立記念日に当たる今月3日、沈黙のデモの参加者ら計400人が拘束された。」(共同通信 2011年7月7日) 未来の日本を暗示するような、この体制は今も続いていて、つい先ごろ大統領のルカシェンコは、ノーベル賞のパロディである「イグ・ノーベル賞」の「2013年度 平和賞」を受賞した。 ▼「2013年度 イグノーベル平和賞」【受賞者】 アレクサンドル・ルカシェンコ 【受賞理由】 公共の場で拍手喝采することを 違法にしたことに対して。 【備考】 ベラルーシを支配するルカシェンコ大統領に対し、厳しい集会規制を逃れるためにプラカードやスローガンを避けて、ただ拍手するだけというフラッシュモブが行われた。これに対して多くの参加者が「拍手によって政治的意見を表明した」として逮捕されたが、中には片腕しかない障害者もおり、裁判では拍手の罪で有罪となった。独立系新聞社の編集者は、過去には聾唖者の女性が「政治的スローガンを叫んだ」ことで逮捕されたこともあったといい、「この国の法廷では奇跡が起きる」と述べている。 「ベラルーシでは、ピンクだの、オレンジだの、バナナだのといった革命はありえない」 (アレクサンドル・ルカシェンコ) (※中東での民主化運動についてのコメント) それでも市民は抗議をやめなかった。あきらめたら負けだからである。ひとが人権をあきらめたら、おしまいだからである。手のひらを打つ「拍手」が禁止されても、自分たちの手のひらの上で音を発する別のものを持っている。ということで、こちらは「拍手」のかわりに、携帯電話の着信音などを鳴らすベラルーシの抗議行動。 ▼「表現の自由をもとめるベラルーシの抗議」(2011年7月) 話を日本にもどそう。もし万が一、いまの国会で「特定秘密保護法案」(別名「特定秘密反故法案」「特定活動テロ指定法案」「特定歴史隠匿法案」)が強行採決されたら、おそらく、「国民の知る権利の剥奪」「世論の黙殺」「民主主義の破壊」そして「無差別なテロ指定」の「功績」が国際的にも高く評価され、2014年度の「イグ・ノーベル平和賞」が安倍に与えられのは、ほぼ確実だろう(よろこべ、安倍)。と同時に、来年の日本の自殺率はついにベラルーシをうわまわり、来年のアムネスティやヒューマンライツ・ウオッチングの年次報告書では、「人権のない国」として「特別指定」をうけるだろう。うつで、くるしい、「うつくしい国」のはじまりである。 [関連] ▼石破茂「ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為」 http://illcomm.exblog.jp/20041236/ ▼安倍のマーチ、あるいは、おばけがこわくて眠れないそうりだいじんのためのファンファーレ」 http://illcomm.exblog.jp/20041404/ ▼「ひとりのこらず、そこからでてゆけ」 http://illcomm.exblog.jp/20042985/ ▼【短期集中決戦】特定秘密保護法(案)廃案推進週間(更新中) http://illcomm.exblog.jp/20042581/ ------------------------------- [追記1] あたまのおかしい現代美術家の考えることは荒唐無稽すぎて(でもそれが現代美術家の役目なのだからしかたがない)、おそまつで、ばかげているという、まじめなリアリストの方は、こちらの記事をどうぞ。 ▼伊藤和子「デモや国会・官邸前抗議はテロと同じ? 自民党・石破氏の発言の危険性」 (ヤフーニュース 2013年11月30日より) http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20131130-00030232/ 「あまりにもおそまつな拙速審議で、憲政に汚点を残した秘密保護法案の衆院採決。言いたいことが山ほどあるが、野党には今度こそ結束して徹底審議を求め続け、廃案に追い込んでほしいと思う。臨時国会は越年できないのだから、徹底審議を求めて行けば廃案にすることは不可能ではない。学者や知識人の方々が次々声明を出されているが、私はこの寒空の中、果敢に国会・官邸前で抗議を続ける人たち、特に若い人たちの行動が素晴らしいと思っている。 ところが、そんななか、自民党石破幹事長は自身のブログで以下のように記した。 「今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」(出典:石破氏ブログ) 個人のブログとはいえ自民党幹事長のブログであり、独り言ではすまされないと思う。官邸前抗議行動やデモはテロとあまり変わらない、というのだ。こんな理解の人に国を委ねるのは本当に問題があると心底情けなく、恐ろしくなった。まるで天安門事件で学生たちを虐殺・鎮圧した、当時の中国政府と変わらないその考え方、民主主義国家のリーダーとしてあまりにも低レベルで危険な見識。テロは無差別に罪のない人を巻き込む暴力的行為であるからこそ、国際犯罪として許されないのだが、平和的なデモや抗議行動はそれとは全く異なものだ。デモや抗議行動は、憲法21条に「集会・結社・表現の自由」として保障され、世界人権宣言にも保障されている重要な人権である。デモや抗議行動は、メディアのような強大な表現手段を持たない市民、ふつうの市民が、一緒になり、人数を集めて、大きな声をあげることを通じて、自らの意見を発信し、人々に届けることのできる数少ない手段である。自分たちの実感と政治がかけ離れていると思ったとき、それを政府も聞き届けないし、メディアでもきちんと報道されない、大きな力を持つ者たちが何もしてくれないとき、市民はどうすればよいか、自分一人だけの発言では多くの人を振り向かせることができないとき、同じ思いを持つ人々で集まって、行動し、みんなで大きな声を出すことによって表現し、抗議し、アピールする、それはひとりひとりの市民が持つ数少ない表現手段として、最大限に保障されなければならない。各国の民主化運動の多くは、市民が街頭に出て、デモや広場での集会によって、強い怒りが示して、政権を追い詰めたことで、成功し、民主化を実現した。民主主義国であっても、ひとたび選んだ議員がどんなとんでもないこと、公約にない政策を強行してもただ黙っているというのは民主主義ではない。多数決の横暴を牽制するチェックアンドバランスのために、欧米等では日本の規模をはるかに上回るデモがどんどん行われ、有効に機能している。 国連でもいまさらながら「平和的な集会」の人権としての重要性について認識が高まり、2010年以来決議が採択され(強力な提唱者はアメリカとEU)、専門の特別報告者も任命されている。そうした市民の重要な表現行為・基本的人権を「テロと同じ」と敵視するのは政権党トップとしてあるまじきことである。憲法・国際人権法で明確に保障された人権への理解を著しく欠いている。石破氏は「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべき」だというが、むしろ世論は、官邸前にいる人たちと同じだ。 共同通信社が(10月)26、27両日に実施した全国電話世論調査によると、政府が今国会に提出した特定秘密保護法案に反対が、50・6%と半数を超えた。賛成は35・9%だった。今国会にこだわらず、慎重審議を求める意見は、82・7%に達し、今国会で成立させるべきだの12・9%を上回った。(出典:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131027/stt13102718490002-n1.htm) パブコメでも9万件のコメントのうち、8割は反対だった。福島公聴会でも全員が反対・ないし懸念を表明している。政府や自民党こそ、秘密保護法に関する支持の輪を広げていないのであり、この瞬間、支持の輪は官邸前の人たちのほうに広がっているのだ。石破氏は、自分たちのやり方を「民主主義に従って」いると思っているのだろうが、それはまさに数の横暴以外の何物でもない。ひとたび選挙で多数をとれば(しかも違憲・無効- 最高裁すら「違憲状態」と断じる選挙で) 、選挙で争点としなかったどんな問題でも、数の力で強行し、メディアや報道陣の懸念にも耳を貸さず、パブコメや世論調査も無視し、官邸・国会前の抗議行動も、デモも「テロと同じ」とむしろ敵視する、このような発想で、多くの人が懸念する法律を強行してよいのか。国民の意見を聞く耳というものを持っているとは到底思えない。こうしたやり方に異議がある、ということを、出来る限り声を大にして、言い続けていくことが必要だと思う。諦めてしまって、何もしないと、この国の民度なんてこんなもの、と政府から甘くみられ、これから起こりうるどんな問題についても、反対の声が無視される、そして気が付いたら反対の声すらあげられなくなっていた、なんてことになりかねない。」 -------------------------------- [追記2] ▼「石破氏、重ねて反対デモを問題視 秘密法案」 「自民党の石破茂幹事長は1日、富山県南砺市で講演し、特定秘密保護法案に反対する市民団体らのデモを重ねて問題視した。「人が恐怖を感じるような音で『絶対にこれを許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいことなのか」述べた。テロ行為になぞらえた11月29日付の自身のブログ内容については「表現に足らざるところがあれば、おわびしなければならない」と述べた」(共同通信 2013年12月1日) --------- 「絶対にこれを許さない」と訴える音に「恐怖」を感じているのは自分だということを、うっかりもらしてしまったようだ。ほんとはこういうべきだったのだ。「私が恐怖を感じるような音で訴えることは、独裁体制にとって正しいことなのか」と。それに、もし「人が恐怖を感じるような音」を問題視するのなら、自分の大好きな戦車とか軍艦とか戦闘機の音を問題視してみてはどうか。 -------------------------------- [追記3] ▼内田樹「石破発言について」 「毎日新聞にこんな記事が出ていた。 自民党の石破茂幹事長は29日付の自身のブログで、国家機密を漏えいした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法案に反対し、国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。国会周辺では連日、市民団体が特定秘密保護法案に反対するデモを行っているが、これを「テロ行為」と同列視する内容で反発を招くのは必至だ。石破氏はブログで「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いている。どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはない」と指摘。「主義主張を実現したければ、理解者を一人でも増やし支持の輪を広げるべきだ」と主張した。(毎日新聞12月1日) 重要な発言である。 彼の党が今採択しようとしている法案には「特定有害行為」の項で「テロリズム」をこう規定しているからだ。 「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう)」(第12条) 森担当相は国会答弁でこの条文の解釈について、最初の「又は」は「かつ」という意味であり、「政治上」から「殺傷し」までを一つ続きで読むという珍妙な答弁を行った。 しかし、この条文の日本語は、誰が読んでも、「強要」と「殺傷」と「破壊」という三つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがない。そして、現に幹事長自身、担当相の解釈を退けて、「政治上の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」しようとしている国会周辺デモは「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と断言しているのである。 幹事長の解釈に従えば、すべての反政府的な言論活動や街頭行動は「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」しようとするものである以上、「テロリズム」と「その本質においてあまり変わらないもの」とされる。「テロリズム」は処罰されるが、「テロリズムとその本質においてあまり変わらないもの」は「テロリズム」ではないので原理的に処罰の対象にならないと信じるほどナイーブな人は今の日本には(読売新聞の論説委員以外には)たぶんいないはずである。 このブログでの幹事長発言は公人が不特定多数の読者を想定して発信したものである以上、安倍政権が考える「テロリズム」の定義をこれまでになく明瞭にしたものと私は「評価」したい。 石破幹事長によれば、私が今書いているこのような文章も、政府要人のある発言についての解釈を「政治上の主義主張に基づき他人にこれを強要」しようとして書かれているので「テロリズム」であるいう解釈に開かれているということになる。 私自身はこれらの言葉は「強要」ではなく「説得」のつもりでいるが、「強要」か「説得」かを判断するのは私ではなく、「国家若しくは他人」である。特定秘密保護法案では、秘密の漏洩と開示について議論が集中しているが、このように法案文言に滑り込まされた「普通名詞」の定義のうちにこそこの法案の本質が露呈している。」 ------- 自分も、この条文の書法が気になっていた。内田樹は 「この条文の日本語は、誰が読んでも、「強要」と「殺傷」と「破壊」という三つの行為が「テロリズム」に認定されているという以外に解釈のしようがない。」というが、そのとおりで、たとえば、構造主義の文芸批評では、本来は別々のものであるもの(名詞とその指示対象など)のうち、「並列しているもの」「近接しているもの」「隣接しているもの」のあいだに、ある種の「同一性」を感じとる人間の普遍的な思考のくせのことを、構造主義では「換喩的同一化」といい、それは文芸上の「レトリック=修辞法」としても用いられる。「「政治上」から「殺傷し」までを一つ続きで読む」という答弁はは、「強要」と「殺傷」と「破壊」という、本来は別々のものであるはずのもののあいだに「換喩的同一化」をうちたて、すべて「テロ」として包摂するという「読み」を強要するものだと思う。なぜ同じ( )のなかにいれているのか、また、なぜ別項として箇条書きにしてないのか、非常にあやしんでいる。
by illcommonz
| 2013-12-01 22:16
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