はじめに、ふた、ありき
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▼石破茂「お詫びと訂正」(2013年12月2日) 「石破 茂 です。 整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。」 「本来あるべき民主主義」とは相容れない? この男、なにをとんちんかんなことを云っているのか。まず「本来」とはなにか。 ▼ほん‐らい【本来】(副詞的にも用いる) (1) もともとそうであること。元来。 (2) それが当たり前であること。道理であること。 ということなので、「民主主義のもともとのはじまり」のはなしからはじめよう。このブログでこれまで何度も紹介してきたが、大事なことなので、もういちど紹介する。「民主主義/デモクラシーのはじまり」について、ランシエールはこう書いている。 「そもそも、デモクラシーを支持しない者たちにとって、デモクラシーとは、下層民や群衆など「統治する資格を持たない連中(デモス)による統治(クラトス)」という意味であり、つまり、デモクラシーとは「侮辱のことば」だったのです。自然の摂理にしたがうなら、統治というものは、統治するだけの資格をちゃんと持った者たち、すなわち、富の所有者や聖職者、家主、知識人、専門家といった者たちに帰されるべきはずのものですが、政治的な共同体を存続させるには、こうした「権限を持つ者たち」と「権限を持たない者たち」との関係を、平等のレベルに立ちもどらせる必要があるのです。」(ランシエール「デモクラシーというスキャンダル」) ランシエールによれば、「デモス」とは、国や政治のことに口出しするなど「とんでもない」とか「けしからん」と考えられていた「とるにたらない者たち」のことで、そうしたデモスたちが、デモスのくせに、あるいは、デモスごときの分際で、おおぜいで集まってあげはじめた声は、当時の支配者たちの耳には、ろくに言葉も話せない者たちの、意味不明な「わめき声」にしか聞こえなかったという。つまり、デモクラシーは、デモスたちがあげる不穏なわめき声と、それをまったく理解できない(理解しようとしない)支配者たちという構図からはじまり、この不平等な関係をうちくだくことからはじまった。そして、ランシエールが、それは「スキャンダル」だったと述べるように、デモスたちがあげたわめき声は、その当時の支配者たちにとっては、「畏怖の念を与え、特権階級の平穏を妨げる」ものにほかならなかったが、そのように支配者たちを怖がらせたものこそが、デモクラシーのはじまりだった。そう考えると、人びとが政府に対してあげる抗議の声を「畏怖を与え、平穏を妨げる」ただの「絶叫」としか聞くことのできない石破の意識は、民主主義ではまったくなく、むしろ「民主主義以前」の支配者たちのそれに近いといえる。もっともこうした考えは石破だけに限ったものではなく、ランシエールはこうも書いている。 「問題となっている政府やその専門家たちが、デモ隊のことばを一般的にどのように受け取るかは周知のとおりです。理性的な分析や討議の対極にある、不満のわめき声やたわごとだと受け取られるのです」(ランシエール「デモクラシー、不合意、コミュニケーション」) 「不満のわめき声やたわごと」ならまだしも、それを「テロとあまり変わらないもの」だと侮辱したのは、さすがに石破くらいのもので、この石破のことばこそ「たわごと」であり、聞くに値しない権力の「わめき声」にほかならない。こうした「たわごと」や「わめき声」にただしく怒り、ただしく「叫び」をあげることこそが、ほんとうの民主主義だと思う。「はじめに叫びがある。わたしたちは叫ぶ。」というテキストで、ホロウェイはこう書いている。 「わたしたちをあれほど怒りに駆り立てたものはなにひとつ消え去ったわけではありません。世界の悲惨は続いています。子供のように叫ぶこと、あらゆる構造的な説明をふりきった、叫びをあげることが必要なのです。「これはわたしたちの叫びなんだ、私たちの痛みなんだ、私たちの涙なんだ」「わたしたちは自分の怒りを現実のなかで薄めてしまおうとは思わない。むしろ現実のほうが叫びに道をゆずるべきだ。」「私たちは叫ぶ。ここにこそ私たちの出発点があるのだ」。そういわなければならないのです。」(ジョン・ホロウェイ 2008年) はじめにあった「叫び」によって、「本来あるべき民主主義」に何度も立ちもどらせること、その出発点にもう一度つれもどすこと、民主主義の仮面をかぶったそれとは別のもの道をゆずらないこと、それを決して素通りさせないこと、それが「ほんとうの民主主義」だと思う。 2011年、スペインの広場に集まって、そこを数週間にわたって占拠し、連日、直接民主主義的な話し合いの場をつくってみせた人びとが、後に世界にむけて発信した「ほんとうの民主主義を、いま」のマニフェストにはこう書かれていた。 「民主主義(democracia)は人民(demos/pueblo)から始まった。だからこそ、政府は人民のものでなければならない。しかしながら、この国において政治に携わる人々の大部分は、私たちの声に耳を貸そうとすらしない。彼らの職務は、市民が直接的な手続きで政治参加できるようにしながら、社会の大部分を占める人々のための最大利益を追求して、政治機関に私たちの声を届けることでなければならない。権力に対する飽くなき欲望、そして権力がごく少数の手に独占されると、不公平やいらだち、不公正が生まれる。彼らは私たちの苦境など知らない。私たちは無名だが、この機械は私たちなしでは存在しない。つまり私たちが世界を動かしているのだ。自分にそれを変えることができると、私は信じている。自分がその助けになると、私は信じている。私たちが団結すればできることを、私はわかっている。私たちと外に出よう。君の権利だ。」 私たちも、外にでよう、きょう。 -------------------------- ▼「与党、きょうにも成立の構え=野党反発、国会緊迫―秘密法案」 「参院国家安全保障特別委員会は4日夜の理事懇談会で、特定秘密保護法案に関する質疑を5日に行うことを中川雅治委員長(自民)の職権で決めた。与党は質疑後に採決の上、参院本会議に緊急上程し可決、成立させる構え。野党側は与党の国会運営は強引だとして徹底審議の要求を強めており、会期末を控え、与野党の攻防が緊迫化した。与党は、今国会会期末である6日の参院本会議で成立させる方針だったが、野党側の反発が強いことから、不測の事態が生じることを懸念し、採決の1日前倒しの検討に入った。自民党の石破茂幹事長、加藤勝信官房副長官らは4日夜、国会内で対応を協議。この後、同党幹部は「5日に本会議まで行く。野党の動きに呼応しないといけない」と語った。一方、与党と日本維新の会は4日、特定秘密の指定の妥当性をチェックする第三者機関の在り方を協議した。5日朝に再協議し、意見集約できれば採決日程も併せて話し合う。自民党参院幹部は「維新との協議の行方次第で6日まで(成立を)待つ可能性がある」と指摘、情勢は流動的な面もある。安倍晋三首相は4日の党首討論で、秘密保護法案について「議論は丁寧に進め、どこかの段階で終局させなければならない」と述べ、今国会成立に重ねて決意を示した。一方、与党と法案修正で合意し、衆院採決で賛成したみんなの党の渡辺喜美代表は党首討論で、首相に法案の慎重審議と会期延長を要求。政府・与党が参院採決を強行した場合、賛成しない可能性に言及した。」(時事通信社 2013年12月5日)
by illcommonz
| 2013-12-05 10:05
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