![]() はじめに、ふた、ありき
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(「文化人類学解放講座」より)
![]() "新世界にて" 「おーい、みんな、おれたち、 発見されちまったようだぞ!」 (クリストファー・コロンブスに気づいたインディアン曰く) ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』(1974年)より 今回の講義では、まず、前期の講義で見たトロブリアンド諸島のクラの その後を取材したドキュメントフィルムを見ます。前期の講義で見たのは、 マリノウスキーのフィールドワークから約半世紀を経た、1970年代初頭の クラでしたが、今回はそれから20年後の1990年代初頭のクラを見て、 そこに現われている変化を見ます。なおクラは、グローバリズムの市場経済 や貨幣経済との対比で、最近、よく耳にするようになった「ギフト・エコノミー」 (贈与経済)の有名な実例ですので、そうした観点からも見てみましょう。 ![]() 「クラ・島々をめぐる神秘の輪」(1991年) Kula: Ring of Power 監督:マイケル・ベルソン カラー 51分 .............................................................................. 次に、先日の講義で見た映画「緑のアリが夢見るところ」の監督ヴェルナー・ ヘルツオークがブラジルで制作したドキュメント映画「失われた一万年」を見ます。 これは「10ミニッツ・オールダー」というオムニバス映画のなかの一本で、 ほんの数分間の出会いが1万年の時をとび越えるという話です。そして、 そのことが何をもたらすかを描いた作品です。 ![]() 「失われた一万年」(2002年) Ten Thousand Years Older 監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク カラー 10分 ................................................................................... ![]() 「死のまつり」(2002年) The Festival of Death 制作・編集:ザ・レジデンツ カラー 10分26秒 最後に、アメリカのマルチメディア・アート・ユニット、ザ・レジデンツが制作した 「エスキモー」という作品を見ます。この作品は1970年代後半に、メンバーの 知人であった(とされる)N・セナダなる人物が現地で録音した(とされる)音源と 写真をもとに「エスキモーの生活のロマンチックな再創造(re-creation)」として、 3年がかりで制作されたもので、はじめは1979年にLPレコードとして発表され ました。エスキモーの儀式の音楽を模倣したこのアルバムの解説の最後には、 エピローグとして、こんな断り書きが記されていました。 [おことわり] この作品で語られる話はすべて過去形で表現されています。 なぜならこの作品のベースになっているエスキモー、とりわけ、 北極エスキモー(イヌイット)の人びとは、政府の福祉政策に よって、一九六〇年代の後半に、その「悲惨な」生活環境から 「救出」されてしまったからです。いまでは、北極エスキモーの 人びとは、政府が支給したプレハブ住宅に一人残らず完全に 移住させられ、一日中、再放送のテレビを見て過ごしています。 この作品は全くの想像の産物ですが、その裏にはこのエピローグに読まれる ような批評がこめられていて、たとえば、それはこんな風に評価されています。 ![]() 「エスキモー」(1979年) 「イヌイットから伝統的遊牧生活を 取り上げた、福祉政策という名の 善意を「エスキモー」は撃つ。この アルバムにある人間性は徹底的に 冷徹だ」(湯浅学) 「レジデンツは極北に住むエスキモーたちの生活を独自のフレームで切り 取り、壮大なドラマを作り上げてゆく。異文化の学習を通じてレジデンツが 獲得したのは、再現/模倣の技術ではなく、想像力なのである」(小山哲人) そして、その後もこの作品は、1980年、1992年、2000年と3度にわたって 再アレンジされ、そして2002年に、その決定版ともいえる映像つきのDVD版 がリリースされました。この2002年版の「エスキモー」では、インターネットを 通じて見つけたという国立機関(例:NOAAなど)の収蔵写真をもとに、異文化に 対するアーティスト的な想像力が遺憾なく発揮され、エキスモーの伝統的な 儀式と伝承の物語を、ロマンチック、というよりも、むしろロマンチック・アイロニー (*失われた対象を回復し、もう一度それと同一化しすることを欲しながら、 決してそれはできないという矛盾した意識を持った精神的態度)的に「再創造」 して見せているだけでなく、いま、世界で起きているグローバリゼーションに 対する冷徹な視線と批評的なコメンタリーが、そこに書き加えられています。 ![]() また、2002年版の「エスキモー」には、ロバート・フラハティが1921年に 撮影した民族誌ドキュメント映画の古典「極北のナヌーク」に、レジデンツが サウンドトラックをつけた作品が収録されています。このように過去の記録映画に 新しいサウンド・トラックをつけて批評的にリプロダクトするという試みは、 ほかにもポール・D・ミラー(aka DJスプーキー)による「国民の再創生」や 「ウィークエンド」などでも見ることができますが、こうした実験については いずれ紹介することにして*、「エスキモー」を見る際には、ヘルツオークが 「緑のアリが夢見るところ」に寄せて語ったようなペシミスティックな暗い予言を 文字通り視覚化したような驚愕のラストシーンをくれぐれも見逃さないように してください。 ................................................................................... ![]() [左] 「国民の創生 Birth of a Nation 」(1915年) 監督:D・W・グリフィス [右] 「国民の再創生 Rebirth of a Nation」(2002年) 編集:P・D・ミラー ................................................................................... ![]() 「極北のナヌーク」(1922年) 原題:Nanook 邦題:極北の怪異 監督:ロバート・フラハティ 「ナヌーク」(2002年) 音楽:ザ・レジデンツ ................................................................................... 1940年代に、パリ大学ソルボンヌ校の人類学部に所属し、人類博物館の シネマテークに通いつめて数多くの民族誌映画を見たという、映画作家の ジャン-リュック・ゴダールはフラハティのこの作品について、こう語っています。 「彼(フラハティ)は万事を演出するドキュメンタリストであって、 「極北のナヌーク」のどのショットも完全に演出されています」 (J-L・ゴダール) ![]() こうした想像にもとづく異文化の 「再創造」やドキュメント映画の なかの演出の問題などについては 異文化表象の問題として、また、 想像ではない現実のイヌイットの 現在の暮しと、その同時代文化に ついては、講義の中でお話しします。 -------------------------------------------------------------- [参考] 岸上伸啓「イヌイットとブリジッド・バルドーの関係」「民族学者の仕事場」より 岸上:食べ物がないんで生肉は食べますけど、とったばかりの血のしたたる生肉、 とくにアザラシのは、よほど腹が減ってない限り、なかなか食べられなかった ですね。冷凍すれば、匂いはなんとか消えるので、ある程度平気なんです。 だけど、生っていうのはやっぱりきついですね。カリブーはうまいですけどね。 ─:とったばかりは、まだ温かい……… 岸上:まだ温かいですよ。食べてたら口や手はみんな血だらけですよ。すごみが あります。 ─:もしかして今はハンバーガーのほうがいいんですか。 岸上:子供たちはハンバーガーですね。おじいちゃんおばあちゃんは今でも肉類 中心ですし、中年の人でもやっぱり、みんな子供のときに食べてますんで、 生肉を食べます。だけどどっちが好きかとなると、ハンバーガー食べたり ピザ食べたりする人が多くなりました。だけど86年当時はまだ肉のほうが 主流でした。 ─:向こうの狩猟というと、イヌぞりなんかを想像するんだけど、そのころはなかった わけですか? 岸上:ええ、70年代を境にもうないですね。今は観光用とか、もしくは自分の楽しみ のために使うということで復活してますけどね。
by illcommonz
| 2005-10-30 04:45
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