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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
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大絶版廃刊中)
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▼憲法をまもるということは、憲法を政府におしつけることである。政府がつぶれるくらい、つよく、(以下略)
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【日本国憲法第12条】 この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない/Article 12: The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people.

「憲法解釈変更を来週に閣議決定 政府、与党」
 「政府、与党は26日、他国への攻撃を自国に対する攻撃と見なして実力で阻止する集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を、来週中に閣議決定する方針を固めた。早ければ7月1日午後を目指す。」(東京新聞 2014年6月26日)

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 「押しつけられた憲法だから、問題なのではないありません。すべてのよい憲法はたいてい、人びとが政府におしつけたものなのです」(C・ダグラス・スミス「映画 日本国憲法」)

 憲法をまもるということは、憲法を政府におしつけることである。いま、問われているのは、憲法第12条に記されている国民の「不断の努力」である。政府は「現実、現実、現実」というが、憲法でたいせつなのは、目の前の状況よりも、人びとがこの憲法を政府におしつけたときの「立憲意志」である。憲法は政府に対する「命令」であり、過去と現在と未来の人びとへの「約束」である。したがって、いま、ここでまたもういちど、立憲のときのように、ひとりひとりの力を束ねあわせ、政府に憲法をしっかりおしつけなければならない。政府がつぶれて、ぺしゃんこになるくらい、つよく、きつく、しっかり、おしつけなければならない。政府など何度つぶれてもかまわない。憲法を解釈できるなどという思いあがった政府があれば、それをぺしゃんこにおしつぶすのが、立憲民主主義のくにの民の責務である。

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[参考1]
 政府は「この憲法は米国がおしつけたものだから変えなければならない」というが、歴史はおおよそ以下のとおり。


▼「日本国憲法の草案はメイドインジャパン」 (65分)

 政府(とくに自民党)が「おしつけられた」といいたがるのは、ときの政府がつくった憲法案(松本試案)がまるで使いものにならないとゴミ箱に捨てられ、ひとびとがつくった草案のほうがずっと民主的であると高く評価されたことが、政治家として、くやしいからなのだろう。草案をまとめたのは米国でも、それを政府におしつけたのは米国ではなく、国民であり、誰がまとめたものであれ、それでよい、それがよい、政府におしつけるにはちょうどよい、と思ったからこそ、人々はそれを政府におしつけ、そして、そのあともずっと、おしつけづけたのである。なんでも自分で決めたがるナルシストの安陪は、ひとにおしつけられるのがいやなのだろうが、憲法というものはそういうもので、それがいやなら、また辞めればいのだ。


▼「日本国憲法誕生(前編)」 (36分)


▼「日本国憲法誕生(後編)」 (36分)

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[参考2] 「国民の不断の努力」アクション

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「集団的自衛権閣議決定断固反対超緊急首相官邸前抗議」
[日時] 2014年6月30日(月) 18:30-
[場所] 東京・首相官邸前
 「安倍政権が急ピッチで進める平和憲法破壊の暴挙、集団的自衛権の行使容認について、自民党と公明党は27日(金)までに正式合意し、7月1日に閣議決定する方向で動いています。国内外のありとあらゆる人々の反対の声にも関わらず、安倍ファシスト政権は、その恐るべき悲願である憲法と戦後民主主義の破壊をついに実現しようとしています。6月30日(月)、首相官邸前において、複数の団体によって大規模な抗議行動が呼びかけられています。我々TOKYO DEMOCRACY CREWもその呼びかけに応え、昨年末の特定秘密保護法反対運動に集まった多くの無党派市民に再結集を呼びかけるものです。圧倒的多数の市民の声で、安倍政権に反対の意志を示し、その野望を砕きましょう。日本の民主主義は今まさに瀬戸際です。」
[呼びかけ] 釈で憲法9条を壊すな!実行委員会/戦争をさせない1000人委員会
[賛同] 東京デモクラシーネットワーク/怒りのドラムデモ/東京デモクラシークルー/C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective)/SASPL 特定秘密保護法に反対する学生有志/Civitas Musashino

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[参考3] 民主主義のはんたい

 「民主主義の反対は、独裁主義である。独裁主義は、専制主義とか、全体主義とか、ファシズムとか、ナチズムとか、そのほかいろいろな形をとって現れるが、その間には根本の共通点がある。それは、権威を持っている人間が、普通一般の人々をけいべつし、見おろし、一般人の運命に対してすこしも真剣な関心をいだかないという点である。そこにはほんとうに人間を尊重するという観念がない。支配者は、自分たちだけは尊重するが、一般人は一段さがった人間としてしか取り扱わない。独裁者たちは、かれらの貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、国家の名誉だの、民族の繁栄だのという、よそ行きの着物で飾るほうが、いっそう都合がよいし、効果もあがるということを発見した。現にそういうふうにして日本も無謀きわまる戦争をはじめ、その戦争は最も悲惨な敗北に終わった。これからの日本では、そういうことは二度と起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化された今後の日本にも、いつ、どこから忍び込んでくるかわからないのである。独裁政治を利用しようとする者は、今度はまたやり方を変えて、もっとじょうずになるだろう。今度は誰もが反対できない民主主義という一番美しい名前を借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。それを打ち破るにはどうしたらいいであろうか。それを打ち破る方法は、ただひとつある。それは国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、ただしいものとただしくないものとを、かみわけることができるようになることである。国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めてゆく。民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。そこではすべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的におこなわれる。政治の上では、万事に調子が、「なんじ、臣民」から、「われら、国民」に変わる」。それが政治の面に表れた民主主義にほかならない。歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果はかならず独裁主義になる。独裁主義になると戦争になりやすい。全体主義の特色は、個人よりも国家を重んじる点にある。その中で一番尊いものは、強大な国家であり、個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。独裁者はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっともそう言っただけでは、国民が忠実に働かないから、独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言いわけはいくらでもできる。もうすこしの辛抱だ。あと5年、いや、もう十年がまんすれば、万事うまくいく、などという。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならないとか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んでいった。」(文部省著作教科書「民主主義 (上) (下)」(1948-1949年)より抜粋)

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[参考4] みなさんも、それぞれの理由と、場所と、やり方で、抗議を。

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▼Civitas Musashino 「解釈改憲に対するステートメント」

 CIVITASは、閣議決定による集団的自衛権の容認(いわゆる「解釈改憲」)に反対します。
 今回の閣議決定に反対する理由は、主に以下の3つです。

① 長く定着してきた憲法解釈の一部を閣議決定によって恣意的に変更することは、憲法の事実上の無効化/形骸化を招き、「三権分立」「立憲主義」といった、近代民主主義国家の根幹を脅かすこと。
② 「必要最小限の集団的自衛権の行使」といった武力行使の制限要件が、他国との共同の軍事行動の中で厳守される可能性は極めて低く、事実上際限のない軍事行動を許容する危険性が高いこと。
③ 日本の安全保障政策のあり方については、今後活発に議論されるべきものの、そうした国家の根本的な方針転換は、閣議決定ではなく、まずは国会で熟議を尽くしたうえで、最終的には国民投票によって有権者の信託をあおぐべきであること。

 閣議決定による集団的自衛権の行使容認が浮上して以降、大手新聞者各社が世論調査を実施していますが、選択肢の提示に致命的な異同が見られ、その結果数字も異様なほどバラつきが出ています(こうした選択肢の問題について参考:毎日新聞世論調査室「集団的自衛権と世論調査」)。自陣営に都合の良い世論調査の結果だけを取り上げて「世論」とするのは現時点では拙速であり、確かなことは、情報の共有も熟議もまだ不足している、という事実のみです。ただし、注意すべきは、今回の閣議決定に反対する層には、「元々は改憲派であるが閣議決定による解釈改憲には反対」という保守層も含まれていることです。自民党の保守本流であり大勲位である中曽根康弘元総理、野中広務元官房長官、加藤紘一元幹事長、古賀誠元幹事長などの自民党のリベラル派、現職自民党議員の村上誠一郎議員なども閣議決定に反対し、慎重な議論を求めています。
 一部からは「他国から侵略されたらどうするのか」といった意見も聞かれますが、日本は現状すでに個別的自衛権の行使が可能であり、他国からの軍事攻撃に対しても反撃/応戦可能です。加えて、安倍首相が5月15日の記者会見でパネル付きで紹介した、集団的な自衛権が必要とされる想定ケース(「日本人を乗せた米国艦隊が攻撃を受けた場合」等)は、 現実的にありえない状況設定に基づいており、端的に知的なレベルで不誠実なものです。
  そもそも自民党は元来、憲法9条の改正を主眼にした憲法改正を結党以来の理念としていました。昨年7月の参選挙後、単独では憲法改正に必要な要件を満たせなかったため、まずは超党派で憲法改正手続きを定める96条の先行改正による憲法改正条件の緩和を試み、そうした96条の先行改正への反発が強まると、さらにハードルを下げ、今度は国会での議論を尽くさない、閣議決定による憲法解釈の変更の準備に取りかかりました。しかし、6月27日朝の時点の報道(毎日新聞のリーク:「政府が集団安保容認 想定問答に明記 「限定」方針逸脱」)によれば、閣議決定によるこうした安全保障政策の根本転換は、「解釈の一部変更だが、解釈改憲ではない」というのが政府の最終見解のようで、国際関係の変化や技術革新によって「逆の結論が導かれた」とのことです。こうしたレトリックの是非については多分に議論の余地があるものの、いずれにせよ、「国会での議論を経ない閣議決定によって安全保障政策の転換を行う」というのが、今回の一連の動きの核心部分であることは変わりません。
  長らく日本の発展に寄与してきた保守政党が、自身の掲げていた理念を顧みず、国民に信を問う「憲法改正」でなく、唐突な閣議決定によって短期的な政治目標を達成しようとする姿勢は、社会の公器としての政治政党への信頼を著しく失墜させるものです。加えて、国家の根幹にかかわる安全保障の方針を少数の人間の決定によって恣意的に読み替えてしまうことは、日本国家の法治主義や立憲主義の伝統を回復不能なレベルで傷つけてしまう危険な行為です。よって、これは「平和主義者」と「現実主義者」との対立ではなく、「法の支配を尊重する法治主義者」と「憲法を無視する一部の為政者」との対立だと認識されるべきです。
 以上の理由から、CIVITASは憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認に反対し、法の支配を尊ぶ保守主義者、リベラリスト、革新主義者、そしてすべての無党派市民とともに、この閣議決定に強く抗議します。
 みなさんも、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、抗議を。2014.5.27. CIVITAS MUSASHINO」
[PR]
by illcommonz | 2014-06-28 09:04
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