「すべての権力は人民に由来するが、彼らがそれを保持するのは選挙の日だけである。選挙がすめば、権力は、人民を支配する者の所有物となる」というような権力制度をジェファーソンは「選挙専制主義」といった。それは「自分たちが敵として闘った暴政と同じくらい悪いものであり、あるいはそれ以上に悪いものと考えていた」。「選挙専制主義」は暴政につながるとジェファーソンは危惧していた。「いったん、人民が公共の問題に熱意を失えば、あなたもわたしも、議会も判事も知事も、すべてが狼になるだろう」というのである。「人民に投票箱以上の公的空間を与えず、選挙日以外に自分たちの声を公的に表明する機会を与えないでおきながら、同時に、かっらに公的権力の共有をゆるすということがいかに危険なことであるか」ということがジェファーソンは分かっていた。議会以外の権力が極端に失われてしまっているところでは、議会の多数派による暴政になるという意味である。議会の権力が多数派の権力そのものになるからである。多数党の独裁になった議会はもはやまったく無力である。それは法が無力になるということである。空洞化されるという意味である。「人民の自由はその私生活のなかにある」ということは、私生活のなかにしか自由がない人々のことである。政治的な自由から排除された人々である。
これは今の私たちの状況にもよくあてはまる。」(山本理顕「個人と国家の<間>を設計せよ」より抜粋)