はじめに、ふた、ありき
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▼[参考文献]高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ」(2015年) 「去年くらいからギリシアの民主主義について調べ出したら、本当におもしろいんだ。今日は参考資料として、何冊か本も持ってきました。これは、オキュパイ・ウォール・ストリートの理論的主導者と言われる、イギリスの人類学者のデヴィッド・グレーバーの「デモクラシープロジェクト」。おもしろいから、読むといい。」(高橋源一郎・作家) 「これはグレーバーが言ってるんだけど、たとえば三千年前の中国の民主主義、あるいは、ネイティヴ・アメリカンの民主主義―文化人類学といった視点でみていくと「これも民主主義でしょ」って定義できそうなものがいっぱいある。普通、民主主義っていうと、ヨーロッパの歴史しか辿らないんだよね。そこからずれるものは違うと考えるのは、オリエンタリズムに侵されているのかもしれない。ヨーロッパ人が勝手に考えている民主主義の歴史だけが正当で、あとは民主主義に似たものにすぎない、なんて傲慢すぎる。そう考えていくと、民主主義の定義を広げたほうがいいんじゃないかってことになる。グレーバーはそう言っている」(高橋源一郎) ▼[参考文献]デヴィッド・グレーバー「デモクラシー・プロジェクト」(2015年) 「民主主義は、古代ギリシアで発明されたわけではない。「民主主義」という言葉が古代ギリシアで発明されたことを認めるとしても―民主主義に大して愛着を抱かなかった人びとによってだが―民主主義そのものは決して「発明」されたものなどではなかった。なぜ保守派は、民主主義は古代ギリシアで発明され、かれらが「西洋文明」と呼ぶものに本質的に備わっているなどと主張するのだろうか。それは金持ちや権力者がふだんからしていることと変わらない。つまり、個人の労働の果実を横取りするということである。かれらはそうやって富の所有権を主張する。そして、富の所有権は防衛されなければならない。だから、民主主義は南アフリカやインドの村落会議でも容易に成立しうることを主張すれば、保守系の雑誌やサイトから即座に怒りに満ちた反撃をうけ、激しく論難されることだろう。」(デヴィッド・グレーバー・文化人類学者) 「もしも歴史が真実に即して書かれるとしたら、民主主義的精神およびかなり多くの民主主義的制度の本当の起源は、政府や組織化された教会による支配の外部にあるように思われる。そこにイロコイ連合がふくまれることを付け加えておこう。そもそも部族連合は、セネカ族、オノンダガ族、カユーガ族、オナイダ族、モホーク族のあいだの一種の協約として形成され、紛争仲介と平和形成の方策をつくりだすことがその目的であった。イロコイの連邦制度が合衆国憲法に何らかの影響を与えたという考えは、十九世紀に何度か提起されたが、当時はそれに特段の脅威を感じたり注目したりするものはいなかった。歴史家たちが、その初期における入植者社会と先住民社会の全面的な相互浸透のあり方を実証的に明らかにしはじめたのは最近のことである」(デヴィッド・グレーバー) 以上、※「デモクラシー・プロジェクト」より抜粋して再構成 --------------------------------- ▼[参考文献]ジャック・ウェザーフォード「アメリカ先住民の貢献」(1988年) 「今日、われわれが認識しているような平等主義的な民主主義と自由は、もともとヨーロッパとはあまり関係がない。それらは、フランス人が十八世紀に蘇らせてみせたギリシア・ローマ文明の派生物ではないのである。それは、アメリカ大陸先住民に由来する概念として、ヨーロッパの言語と文化に翻訳されて、近代の西洋思想に入ってきたものである。平等主義的な原理と、連邦政府に基づいた民主主義という近代の概念は、一六〇七年から一七七六年のあいだに、北米の大西洋岸において、ヨーロッパと先住民双方の政治的な理念と制度がユニークなかたちで混交したた結果、生じたものである。今日知られている近代の民主主義は、イギリスからの入植者や、フランスの政治理論などがもたらした遺産であると同時に、アメリカ大陸先住民(なかでもイロクォイ人とアルゴンキン人の遺産でもある。」(ジャック・ウェザーフォード・文化人類学者) --------------------------------- ▼[参考動画] 筑紫哲也・星川淳「イロコイ連邦」2006年 22分) http://www.veoh.com/watch/v69399055A32QZqDx 「アメリカ合衆国という国ができて今年でちょうど230年になります。自分たちは「民主主義の先進国だ」といい続けて、実際、日本もその生徒だったこともあります。しかしその一方でアメリカという国は、平和のために戦争をする、という矛盾した側面も持っているわけですけど、そもそも、このアメリカの国の民主主義というのは、どこから出てきたのか、という疑問もわいてきます。アメリカの自由と民主主義が、実は、ニューヨーク州の北部に暮らすイロコイ族という先住民の教えに由来しているんだという話をご存知でしょうか。」(筑紫哲也「NEWS23」2006年) --------------------------------- ▼「参考資料」 ジャック・ウェザーフォード「合衆国憲法を制定した先住民の父」 「ヨーロッパからアメリカ大陸に入植した人びとは、民主主義についてほとんど何も知らなかった。自分が統治する権利は神から授けられたと、さらには、アイルランド人を絶滅させる戦争を行うことは神がゆるしているとさえ公言する君主に統治されていた国から、イギリス人たちはやってきていたのである。フランスはまだ、参加民主主義の実験をはじめていなかった。アメリカの憲法制定者たちは、さまざまな制度の残りかすを寄せ集めて、まったく新しい制度を考えだした。 ▼「人間と市民の権利の宣言(通称・フランス人権宣言)」(1789年) その新しい制度をつくるにあたって、彼らはアメリカ大陸の先住民から独自の要素をいくつか借用した。伝えられるところによれば、すべての植民地の連合を最初に提唱し、そのための連邦モデルを提出したのは、イロクォイの首長、カナッサテゴで、彼は一七四四年七月にペンシルヴァニアで開催された、先住民とイギリス人との会合の席で発言している。カナッサテゴは、植民地の統一を提唱しただけでなく、どのように統一すればよいかも教えた。自分たちと同じようにして、イロクォイ同盟のような連合を形成するように提案した。植民者が新しい政府をつくる際に利用できる可能性をひめた大事なモデルとして、イロクォイの制度を取り上げたのは、ベンジャミン・フランクリンが最初だったようだ。彼は先住民の政治文化の細かい点、特にイロクォイ同盟について精通していた。結果、フランクリンは、先住民社会の政治構造を生涯擁護するようになり、一方で、アメリカ人がそれを利用するよう提唱した。 イロクォイ同盟は、モホーク人、オノンダガ人、セネカ人、オネイダ人、カユーガ人という五つの主要な先住民族をむすびつけるものであった。各民族は、その民族に属する部族が選出するサチュムと呼ばれる代表者によって構成される評議会をもっていた。五つの分離した部族が持つ個々の評議会に加えて、サチュムが全員集まって、同盟の大評議会を構成し、五つの民族から五〇人のサチュムが一堂に会して、共通の関心事について討議した。 ▼[参考動画] 「イロクォイ連合」(公共広告 1995年) このような統治形式を通じて、イロクォイの民族は、数世紀にわたって持ちこたえた同盟をつくりあげた。ヨーロッパの政府とは異なり、イロクォイ同盟は、いくつもの民族の主権をひとつの政府に融合させていた。アメリカ人は、イロクォイ同盟のモデルを大枠で模倣しただけでなく、イロクォイの「平和の大法典」のなかにある特定の条項の多くを受け継いでいる。イロクォイ人をまねたもうひとつの模倣は、政治集会において一度だけ一名にだけ発言をゆるすという単純な慣習であった。この方式は、イギリスの伝統とは対照的である。イロクォイ人は、発言をさえぎることを大声で叫ぶことをゆるさなかった。演説の後にはかならず短い沈黙の時間を強制的に設けてさえりう。それは発言者がなにか大事なことを忘れていたり、さらに詳しく述べたい、あるいは、言ったことを改めたいと望んだ場合に備えてだった。 ベンジャミン・フランクリン、トーマス・ペイン、チャールズ・トムソンなど、アメリカの連邦制を創設した人たちの多くは、先住民の政治制度と深くかかわって仕事をしていた。それはしばしば、手際のよさを必要とする作業であった。というのは、古代ギリシア人は、民主制というものを実行するよりも破ることのほうで遵守していたからである。ギリシア人は、華麗な言葉を用いて民主制について熱狂的に語っているが、めったに民主主義的な制度を創造することはなかった。アテネなどの少数の都市だけがときおり、おぼろげながら民主制に類似したシステムを数年のあいだ試したことはあった。しかし、そもそもこれらの都市は、奴隷制の社会として機能し、アメリカ大陸の先住民が用いる意味での平等主義的でもないし民主主義的でもなかったことは確かである。 ▼ギリシャ・アテネのアゴラ 元来はイロクォイ国家に、そして後には、アメリカ合衆国の形成に利用された連邦制の原理は、最終的に拡張されてて、一九一八年の国際連盟設立に寄与した。この新し連盟の立案者は、その国の大小によらず、どの連盟員にも平等の発言権を与えるイロクォイ式連盟制を採択した。それから一世代経て、それは国連総会の創設の基盤ともなっている。皮肉なめぐりあわせであるが、国連の創設者は、国連本部をかつてイロクォイ同盟に所属した領地のなかにあるニューヨークに置いた。ある意味で、国連はイロクォイ同盟の国際版となっているのだ。 ※以上、「アメリカ先住民の貢献」より抜粋して再構成 --------------------------------- [まとめ] 【プロジェクトとしてのデモクラシーとその精神】 (文化人類的な視点と、1947年の文部省見解) 「それ(民主主義)は、いかなる特定の知的伝統から生じたものでもなければ、特定の統治様式ですらない。本質的に民主主義とは、人間とは根本的に平等であり、集団的な問題は、最も効果的と思われる手段を状況に応じて使い分けつつ平等なやり方で対処すべきだという信念にほかならない。この意味において、民主主義は歴史あるいは人間の知性そのものの歩みと軌を一にして存在してきた。誰も民主主義を所有することなどできない。重要なのは、民主主義的な集まりはいつでもどこでも成立しうるということだ。人びとが一堂に会し、すべての参加者が平等に発言権を保証されるという原則に基づいて集団的決定が行われるところなら、バリ島のスタからボリビアのアイリュまで、用いられる形式的な手段は無限に多様であり、つねに新しいものが生まれてくるのである。」(デヴィッド・グレーバー「デモクラシー・プロジェクト」2015年) 「民主主義の根本精神とはなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。人間が人間として自分自身を尊重し、互いに他人を尊重しあうということは、政治上の問題や投票よりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。繰り返して言うと、民主主義は、単なる政治上の制度ではなくて、あらゆる人間生活の中にしみこんでいかなければならないところの、ひとつの精神なのである。それは人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んじる気持ちであり、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。この精神が人の心に広くしみわたっているところ、そこに民主主義がある。社会も民主化され、教育も民主化され、経済も民主化される。ほんとうの民主主義は、議会の建物の中でつくられるものではない。もしもそれがつくられるものであるとするならば、民主主義は人々の心の中で作られる。それを求め、それを愛し、それを生活のなかに実現してゆこうとする人々の胸の中こそ、民主主義のほんとうのすみかである。」(文部省著作教科書「民主主義」1947年)
by illcommonz
| 2015-10-10 16:29
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