「あらゆるメディアは人間の心的もしくは身体的な拡張である」(マーシャル・マクルーハン)
だとしたら、楽器は人間のなにを拡張しているのだろう。
楽器は人間のなにをマッサージし、ときほぐしているのだろう。
▼トーマス・ロバーズ&フロリス・リューエンバーグ「FOLI」
「FOLI」はマリンケ語で「リズム」を意味することばである。アフリカ・ギニアのバロで撮影されたこのドキュメントヴィデオは、楽器というものが「あるく、はたらく、はなす」といった人間の日常的な身体活動と、そのなかにあるリズムを拡張するメディアだということを教えてくれる。
▼グレン・グールド「J・S・バッハ作曲 パルティータ第2番」
グールドがピアノの演奏中にしばしばハミングしたり、鼻歌を歌う理由は①ピアノを弾くのがたのしくてたまらないから②自分の頭のなかで鳴っているのと同じ音色と響きがでないので、それを補正するためだったともいわれる。グールドにとって楽器は、頭のなかにある理想を拡張する(あるいは拡張しそこねる)メディアである。
▼ローランド・カーク+ジョン・ケージ「サウンド」
ケージの解釈では、カークが3本のサックスを使って鳴らしてるのは、街を走る自動車の警笛の「サウンド」だということになるようだが、カークの考えはそうではなく、カーク自身くりかえし語っているように、彼が楽器と音楽を使って告知していたのは、人間の「生がもっとも光輝く瞬間=ブライト・モーメント」であった。またサックスに限らず、さまざまな楽器を同時に演奏するカークにとって楽器は、「個のなかの複数性や多声性」を拡張するものだった。
「われわれは「アンチ・オイディプス」を二人で書いた。われわれのそれぞれが、すでに複数だったので、それは多数だった」(ドゥルーズ&ガタリ)