
ネットでイスラム圏の
サイトを検索してたら、
不意に見たくなったので、
今日は、これから
マジッド・マジディの
「運動靴と赤い金魚」
をみます。
キアロスタミの『友だちのうちはどこ』や、マフマルバフの『サイクリスト』のように、
イランには恵まれない暮らしの中で、たくましく生きてゆく子供たちを描いた映画が
なぜかたくさんあって、その中でも「運動靴と赤い金魚」は、特に好きな映画で、
マクマルバフがいうように、「イラン映画が生き生きと輝いている理由の一つは、
映画の中の子供の存在にある」、というのは、本当にそのとおりだと思います。
とはいっても、別に貧困がよいわけではなく、また、清貧を気高いとも美しいとも
思ってなくて、ただ、ジェレミー・シーブルックの『世界の貧困』のなかで、どこかの
お祖母さんがそう云ってたように「昔は、わずかなお金でも、これだけのことが
やれるのよってことが自慢になった」という、その感覚が今でも自分の生活と
物づくりのベースにあるので、それでたぶん、子供に限らず、ひとが知恵を
働かせ、いろんな工夫をしながら、貧しさや逆境に抵抗して、生き(のび)て
ゆく姿を描いた映画が好きなのだろうな、と、そう思った次第です。
-たとえば、デシーカの「ミラノの奇蹟」がそうですね。
そうですね。それに、考えてみれば、「わずかなものしかないところで、それを
使って何とかやってゆく」というのは、脱獄や移民を描いた映画にもいえることで、
そう考えてゆくと、結局、好きなのは、「レジスタンス」を描いたものかもしれないと、
ちょっと、そんな気がしてきました。
-子供たちが抵抗するといえば、ナチスの侵攻が始まった時代の旧ユーゴの
子供たちの抵抗を描いたブラニミール・ヤンコヴィッチの「抵抗の詩」はまさに
そんな映画でしたね。
ええ、あんな風に、子供たちが何かに抵抗する映画をご存知でしたら、ぜひ
教えてください。
-それに、考えてみたら、「アワーミュージック」も少女が抵抗する映画ですね。
「ヒア&ゼア こことよそ」にも、パレスチナの少女がダルウィーシュの抵抗の詩を
読みあげる場面がありますが...
あ、そうか、いまごろになって、ようやくそれに気がつきました、つまり好きな理由は
それなのかと...まさに知らぬは自分ばかりなり....ん、でも、ということは、もし何かの
まちがいで自分で映画をつくる/編集することになったときは、迷わずそれをつくれば
よいのか、なるほど、なるほど、そうか.....
と、四人称複数のイルコモンズ会議は、つづく。