はじめに、ふた、ありき
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いましがた「文化人類学解放講座」の本年度最終講義録のアップが終わったので、 ホッと一息ついて、どこかにダウンロードフリーのムービーがアップされてないかしらんと、 海外のサイトをあちこちみてまわってる途中に、CrimethInc のサイトに立ち寄ってみたら、 FORGET TERRORISM:The Hijacking of Reality というテキストを見つけました。 これはタイトルのとおり、911以後、いつ起きるともしれぬテロに対する終わることのない 警戒体制と、過剰なセキリティ意識の植えつけのせいで、僕らが生きてる現実が、すっかり 管理者たちにのっとられてしまっている、ということを指摘したもので、もうそろそろテロの ことを忘れ、他者への信頼と寛容にみちた現実をとりもどそう、というポジティヴなものです。 また、このテキストは、今は亡きWTCが双子の亡霊のようにNYの街の上に暗い影を落とし ている写真に The Shadow of the Past holds the Future Hostage (過去の 亡霊が未来を人質にとっている)というヘッドコピーのあるポスターとセットになっていて、 非常によくできたソーシャル・ワークであり、また、パブリック・デザインだと思いました。 こういうよい仕事を見ると、ついこちらも何かしたくなって、何とはなしに、英文のテキストを Google の自動翻訳プログラムにかけてみたところ、例によって、アヴァンギャルドな 詩のような文が生成されたので、プログラムが翻訳しそこねたいくつかの単語を補訳し、 誤訳は誤訳のまま活かし(例:It is up to us. それは私達次第だ それは私達までだ) 「私達」を「僕ら」に書き換えるなどして、ポエトリーリーディング用にリミックスしてみました。 で、これまた例によって、それをIBMのテキスト自動読みあげプログラムに朗読させ、 iTune にロードされている曲のなかから具合のよさそうなものを選んでマッシュアップ したら、まるで、×××の×××があの世から何事かを語っているようなシャーマニック なフローをもった、ポリティカルでポエティカルなものができました。下からダウンロード できますので、下記に書き出したテキストを併読しながら、お聴きになってみてください。 いってみればこれは、ベンヤミンがいうような「あやうい作業」としての翻訳を通じて偶然 できた文(エクチュール)と音との偶発的なモンタージュで、それがつくるイマージュには、 計画的に創作することのできない不確定な何かが宿ってしまうようで、「エクリチュール、 この危険なるもの」という言葉でデリダが云おうとしてたことはつまり、こういうことなのか、 と少しだけそれが了解できたような気がします。 ............................................................................................ 「テロルの記憶をやりすごし、のっとられた現実を解放すること ~過去の亡霊から人質にされた未来をとりもどすこと」[mp3 4.98MB 4分20秒] (原詩:CrimethInc 改竄:イルコモンズ) 質問―すなわち、いまこそ、最終的質問。僕たちは、もう一度 Reframe する。この言葉、 いかに対立するか すべての生命、蝶番。それは、戦争への平和の質問。ただでない。 peace の十年、西への復讐を得る。死ぬ価値があった。現在の条件の下の新しい平和は、 さらにもっと反逆的であること。自殺の爆撃機の生成を説得するために。それは9月11日 の攻撃までだった。もう十分に、血を、導き。僕たちはイデオロギー間の対立として投げた。 これをできる。弾丸と爆弾が。立場に任意に雨が降る。間。僕たちの、より長い、しかし、 安楽椅子のクォーターバックであることを、することができなく、僕たちの支持された チームかテーマを、他に対して支持する。僕たちのそれぞれが、僕たちの毎日の決定の、 グローバルな出来事と、いかに相互に作用しているか、僕たちが、僕たちの生命の.... つくる、何を、質問を。それはいつもあり、あっても、誰なのか、テレビか、それがどうした、 で、前述がある。死ぬか、殺すが、僕たちは、することができる。僕たちの反対者は、 反対者である。僕たちの努力を妨げる自分の限界、すなわち、のための、この質問を、 受け身の見物人たちの世界に覆うことは、恐怖と戦争によって、むしろ支配し、もっと むしりとる、不公平の中の不公平を、訂正するために行動する。人と人との間の場所が 崩れ落ち、政治家とテロリストに正当化を、同様に提供してしまう。現実のハイジャック、 僕たちがそれを...... もうこれ以上の戦争、すなわち、もうこれ以上の搾取、すなわち、もうこれ以上の テロがないことを、みんな知ってる。それは、私たちまでだ。 The question, now―the ultimate question, on which all life hinges― is how 僕たち can once more reframe the terms of this conflict. It is not question merely of peace versus war: the decade of peace that led up to the 9月11日 attacks was sufficiently bloody to persuade a generation of 自殺の爆撃機 that it was worth dying to get 復讐 on the West, and 新しい平和 under the current conditions would be even more treacherous. Nor can we cast this as a conflict between ideologies: 僕たち cannot afford to be armchair quarterbacks any longer, backing our favored teams or themes against others while bullets and bombs 雨が降る randomly into the stands. 質問 is― always is, no matter who is 死ぬか殺す, no matter what is said on television―what we can do ourselves, what we make of 僕たちの生命, how each of us interacts with global events in 僕たちの毎日の決定. Our opponents are those who would hinder our efforts and obscure この質問 for their own ends, who would rather rule over a world of passive spectators wracked by 恐怖と戦争 than take a place among equals acting to correct the 不公平 that provide justifications for 政治家とテロリスト alike.Everyone knows, if it were up to us there would be no more 戦争, no more exploitation, もうこれ以上テロがないことをみんな知ってる、それは私たちまでだ。
by illcommonz
| 2005-11-29 23:11
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