はじめに、ふた、ありき
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▼デジタル・デトックス・イン・ザ・ホーム(実家)中 かつては、ほとんどの人が、それぞれ異なる現実に満ちた多様な生活を送っていた。職場の現実、家庭の現実、娯楽の現実、教会や宗教の現実、休暇の現実など、多くの現実があった。こうした現実はすべて互いに切り離され、生活の異なる側面を表していた。配偶者や子どもは、あなたが仕事で接している相手が誰で、あなたが一日中何をしているのか、知らない場合が多かった。そして、職場の人間は、あなたが休暇中に何をしたか知らず、あなたの家庭生活や社会活動についてもあまりわかっていなかった。 こうしたさまざまな現実があることは、休養して英気を養う機会が与えられることにつながっていた。職場から家庭や地域活動へ、つまり、ある現実から別の現実へと移行することにより、気持ちを切り替えてまったく違う物事に注力することができた。例えば、仕事から解放されて家庭の現実に注意を傾けることにより、別の領域で頭を働かせる機会を得るので、翌日には、元気を取り戻して生き生きとさらに創造的になって仕事に戻ることができた。 しかし、現在は、事情がかなり異なっている。いまは、スマートフォンやタブレットによって、メールや仕事、ゲーム、写真、音楽など、基本的には生活のすべてをどこへでももって行ける。その結果、個々の現実すべてがぼやけてひとつになってしまったように見える。相互に結びついた「ひとつの大きな現実」があるだけだ。 つながっている状態はいいことだが、いいことでも度が過ぎると裏目に出る場合がある。常につながっていると、そうでない場合ほど、効果的に問題を解決できず、革新性や創造性をうまく発揮できず、友人や家族と深く接することができない。 解決策は何だろうか? 実に単純だ。接続する時と接続しない時に関して一定の方針を定める必要がある。つまり、休暇中なら、常時接続するのではなく、自制心を働かせて意図的に接続を切るようにするのだ。職場との連絡を保つ必要があるなら、たとえば朝食や昼食、夕食の前の30分間など、時間を決めて接続し、そのあとは忘れずに接続を切ろう。 友人と何かの活動をしたり会話したりしているときには、すばやくメールチェックをしたいという衝動を抑えよう。メールやテキストメッセージをチェックする必要性を感じるなら、そのための時間をつくり、その後は端末をオフにしよう。 テクノロジーによって、常時接続して常に仕事をすることができるようになったが、それが「テクノロジーのせい」ではないのは確かだ。それよりも、鏡を覗いて、本当は誰のせいなのか悟ろう。そろそろ、技術と自分の生活を管理して、かつて体験したあの「個々の現実」に埋もれている素晴らしい宝物を再発見してもいいころだ。接続するべき時と接続を切るべき時があることを覚えておいてほしい。 (ダニエル・バラス「常時接続された世界」で成功したければ、家族のことを忘れないようにしよう」より抜粋)http://wired.jp/innovationinsights/post/mobile/w/hurting-relationships/?user=normal
by illcommonz
| 2016-02-19 16:23
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