「現代思想 特集=3.11以後の社会運動」
2016年3月号
「東京のデモ参加者に使われている打楽器は、スネアドラム、タム、バスドラム、ブラジル楽器であるスルド、ヘボロ、カイシャ、パンデイロ、アフリカ楽器のジャンベ等さまざまだ。楽器は高価なイメージがあるが、ドラムセットを解体したものを中古店やオークションで探すと、1000円台で入手することができる(多少のメンテナンスは必要だが)。言葉が出なくても、リズムを打つことで自分の意志を表現できる。ドラムを打ち鳴らして歩く行為には大きな開放感があると同時に、人の歩くスピード、コールのスピード、街の環境、周りの楽器の音等に常に耳を傾ける、精緻な気配りが必要だと知った。時に誘導や交通整理にも回りながら、デモ全体の歩みを維持し、気力を鼓舞する。それが通称「ドラム隊」だ。「ドラム隊」は、ともすれば音楽性やそのスタイルのみに注目され、批判者からは「太鼓を叩いて騒ぐ」という揶揄にさらされるが、どちらも本質を表したものではない。言葉によるコールが血液なら、ドラムの音はそれを送り出す脈動である。あくまで血液を循環させるための脇役であり、路上は自分たちのステージではない。さまざまな感情、異なる願いを束ね、短いフレーズに載せて送り出す。デモ隊の中では目立つようでいて、実際は無名性に徹する役である。私は声なき声を打楽器に委ねる。言葉にならない感情をビートに刻む。リズムの中に自意識や不安や諦念は消え去り、ただこの社会をよりよい形で未来に残すという希望だけが残る。その役割を担うことに私は喜びを覚える。」(吉田理佐「あの日の後 路上にて」)
「ワーキング・グループの名前に「パルス」を選んだのは象徴的で、とても気が利いている。それはドラムサークルが、そのまわりにつくりだす「パルス=拍子」を意味するだけでなく、身体のメタファーも盛り込まれているからだ。「パルス=脈拍」は、"こころ"と"からだ"を分離させず、人間の活力を示すもので、それは新しい考えや経験、よろこびやおそれにふれると、速くなったり遅くなったりするものだ。」(マーク・グライフ「ドラムサークル」)
「わたしたちは、このムーヴメントのパルスである。パルスが運動をつくりだす。パルスのないものは死んでいる」(NY・ズコッテイ公園のウォール街占拠運動で)
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[関連]
▼ムーヴメントの「パルス(拍子/脈伯)」としてのドラムサークル
http://illcomm.exblog.jp/17600053/
▼パルスとリトルネロ
http://illcomm.exblog.jp/16003872/