![]() はじめに、ふた、ありき
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すっかり後まわしになってしまいましたが、こないだの週末、千葉県佐倉市にある 川村記念美術館で、リヒターの回顧展 「ゲルハルト・リヒター/絵画の彼方へ」 をみてきました。前にも書きましたが、 4年前にここでリヒターの「ATLAS」展を 見た時は、とにかくはじめからおわりまで 監視の方にぴったりマークされ、「あまり 絵に近づきすぎないでくださいね」とたく さん注意されたので、そのことを懐かしく 回顧しつつ、今回はなるべく注意されない よう注意しよう、と思い定めながら、同館の 送迎バス「山ゆり号」に乗って会場に向かい ました。 まずはじめに結果から云うと、今回はあらかじめ先手をうって、みずから進んで ガイドツアーに自決参加したので、結局、一度しか注意をうけずにすみました。 しかも、今回の回顧展では、作品の前の床に、キャプションボードを兼ねたブロック ラインが設置されていたので、これがきいたようです。もっとも最初にこれを見た時は、 「うぁ、もしや、これは、4年前のあのことがきっかけで……」とも思いましたが、まぁ、 たぶんそんなことはないと思います、たぶんね、たぶん。いちおう弁解しておくと、 リヒターの絵を近くで見ようするのは、ディテールを見たいからというのもありますが、 それ以上にリヒターが「ズレ」や「ボカシ」あるいは「ひっかき傷」や「反射」によって 感知させようとしている写像面の物質性を肉眼で触知したいからで、接近して見ると、 絵画や写真のモノ性がより実感できるからです。もっとも今回は、前回の経験から、 そうするには絵を正面からでなく斜めから見ればよいということが分かってたので、 むやみに近寄って見ることもなかったのですが、それでも今回はじめて現物を見た 「11枚のガラス板」だけは、ついつい近づいて見てしまって、注意されてしまいました。 この大ガラスの作品は、そこに映りこんでくる空間や人の像を、リヒターの絵の それのように、リアルタイムでブレさせて見せてくれるもので、このおもしろさは、 たとえていうなら、エレキギターのエフェクターにある「リバーブ(残響音の増幅)」 や「エコー(反響音の増幅)」のようなものです。なのでそれ自体は、別に深遠でも なければ神秘的でななく、例えば「こだま」や「やまびこ」のようなかたちで自然界 の中でも常に起きてるプライマルな物理現象なのですが、なぜかそれが妙におも しろく、そしてなによりも「リヒターが見たいのはつまりこれなのだな」ということが 了解できて、そこに生まれる共感や共鳴が、この作品を魅力的なものに感じさせ てのだろうなと思いました。 作品そのものは、本当に11枚のガラスが等間隔に並んでいるだけなのですが、 でもそこには、リヒターが試行錯誤と実験の末にたどりついた微妙な調整がされて いて、そのリヒターが探りあてた周波数に自分の意識を同調させるチューニングの おもしろさもあります。それは短波ラジオで海外のラジオ局の微弱な電波をキャッチ するときのおもしろさに似ています。また、そのガラスを正面からでなく斜め横から見ると、 写像を変容させるガスがそこに充満してように見え、それはそれでまた美しいもので、 ちょうどオラファー・エリアソンのインスタレーションのように、見えないはずのものが そこにたちのぼっているような感じがします。 というわけで、展示もよかったのですが、実は今回一番強く印象に残ったのは、 展示のいちばん終わりに置かれていたリヒターへのインタヴューのビデオでした。 リヒターはたしかこんな風に話してた思います。メモをとることができなかったので、 うろ覚えで、あやしいところもありますが、たしかこんな風だったと思います。 わたしは自分が、いったい何を描こうとしてるのか 分かりませんし、そもそも作家は、 自分が何をしてるのかを分かろう としてはいけないのです。 広告や宣伝をつくる人はそれが何か わかってないといけないでしょうが、 アートはそうではないのです。 世の中にはそのわからないものを ことばにするのが上手な人たちがいるので、 その人たちにまかせておけばよいのです。 作家が自分の作品についてたずねられたときに「わからない」と答えるという話は、 よくある話ですが、そこからさらに一歩進んで「わかってはいけない」というのは、 あまり聞いたことがなかったので、なるほど、と思いました。たしかに広告や宣伝は、 それが受け手に与える効果を予測しながらつくるもので、そこには常に計算が はたらいている。無論そこから意外なものや思わぬものが生まれてくることがある にしても、それはあくまで常識の裏をかいたものや人の意表をついたトリッキーな ものでしかない。それに対して、リヒターがやろうとしているのは、何が起きるのか わからないし、また何が起きているのかすらわからないような、まったく計算できない ものをつくりだす実験なので、そう考えると、たしかに自分が何をしているのかが 分かってはいけないし、また分かってしまっていては実験にならないわけです。 このリヒターの「実験」というものに対する原理主義的な考え方は、ゴダールの 映画づくりにおける考えに通じるところがあり、例えば、次のリヒターのことばの 「絵画」を「映画」におきかえると、それはまるでゴダールが語ったことばのように きこえます。 「絵画に何ができるかをためすこと。自分は、今日、何を、どんなふうに 描けるのか。いいかえれば、いま、 何が起こっているのかについて、 自分自身のために、ひとつの イメージをつくろうとしつづける ことです」 そういう、何が起きるかわからない実験には失敗がつきもので、今回の回顧展でも、 どうみてもこれは失敗した作品じゃないのかと思える作品がひとつあって、リヒターは これを実験に失敗したものとしてここにわざと展示しているのではないかと、つい そんなことまで考えながら、展示をみてきました。どの作品が失敗作かは、ぜひ 美術館まで足をはこんで、ご自分でさがしてみてください。 ------------------------------------------------------- [追記] リヒターのことばを書きとっていたら、批評というものについても思うところが あったので、ついでにそれも書き足しておきます。おおざっぱにいうとそれは、批評も また実験となり得るということで、とりわけリヒターやゴダールのような実験作家たちの 作品について何かを書く場合、おのずと批評もまた実験的とならざるを得ず、それは 自分が何をやっているのか分からない作家と共にことばを失うところからはじまって、 その失くしたことばをとりもどすまでの試練が批評ではないかとそう思ったわけです。 実際のところ、この文にしても、まるで空に浮かぶ雲のように全くつかみどころのない リヒターの作品を前に、はたして何が書けるか分からないまま書きはじめ、自分がいま 何を書いているのか分からないまま書いているようところがあるので、そう思いました。
by illcommonz
| 2005-12-16 02:07
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