![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() 「暮れ」というものについていうならば、 野坂昭如がこないだの毎日新聞に 「戦後60年の暮れ」と題した、こんな 文章を寄稿してました。 今年は戦後60年だった。一つの節目に違いないが、ぼくにとっては日々是(これ)同じ。空を仰ぎ見て、この世の来し方、これからを思う。この「平和」な日本で、異常とされる事件が多発し、世間は驚き嘆き、殺人ゲームの影響だのビデオがどうした、家庭環境、教育問題をあげつらい、精神病理学、心理分析の専門家はしたりげに解説、通りいっぺんの講釈を述べる。しかし問題はそう簡単じゃない。世間にしてみれば他人事、自分とはかかわりのない事件とみなし、本質について誰も考えようとしない。この曖昧さこそ日本人の特徴。この前の敗戦を振り返ることなく、うやむやのうち繁栄を遂げ、「平和」というスローガンに、いつしか日本人は自分でモノを考えなくなった。そのツケがまわってきたのではないか。ぼくの狭い了見では、今の日本が、特に外交において何を云っているのかよく判らない。(...) 今、若者にとって、新聞やテレビで報道されている内容について、それがいいかげんなのかどうかすら判らない。国際情勢や国内における問題は、自分の上を通りすぎていくことであり、これは、都会における四季の移り変わりに等しい。かたや大人たちは、子供としゃべることを放棄しているがごとく見える。言葉がない、日本語がない。これでは記号が飛びかった戦争中と変わらないじゃないか。意見が違っても構わない、大人の言葉を聞かせる仕組みを構築すべきだろう。(...) ぼく自身、いまだに民主主義というものを一つ一つ確かめているようなところがある。どこかまだ民主主義に対するいかがわしさが残ったまま。(...) ぼくは、日本は戦争に向かない民族だと思っている。憲法について言うならば護憲派である。しかし、この問題を本気で考えるのは、これからを生きる若者たちであるべきだろう。(...) カネで解決できる?カネなんて、もはや紙ですらなく液晶画面の上の数字でしかない。(...) 何にせよ、しゃべりあうことが大事。生きた言葉で議論することに意味がある。 ............................................................ たとえば「憲法」というものついていうならば、イルコモンズはいかがわしくも詩的な「改憲派」で、「民主主義」というものについていうならば、イルコモンズは頑固で偏屈な「直接民主主義者」ですが、そんなふうに意見は違っても、これを読んで、云いたいのは次の一言だけです。イルコモンズもそう思う、以上。
by illcommonz
| 2005-12-21 12:05
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