はじめに、ふた、ありき
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建築家の磯崎新さんから
新著『磯崎新の思考力』を 献本していただきました。 いつもありがとうございます 「九月十一日の後ではユートピアを語ることができない」 「グラウンド・ゼロが冗長性を増加させる」 「弔辞 丹下健三先生」「アルジェからの旅立ち」 「スーザンソンタグの語らない声を聞きたかった」 「都市のみる夢」などを読みながら思ったのは、 建築家イソザキアラタの同時代批評力は今から30年以上前に『建築の解体』を書いた ときと同じ衝迫力をキープし続けているということで、それにまず驚くと共に、こういう 同時代批評を書く作家がディレクションした国際展を見たかった、、、とそう思わずには いられませんでした(しつこいですがその国際展は結局最後まで招待券を...もういいか)。 この本を読むと、思考力というのは、年齢によって増したり衰えたりするのではなく、 問題は、思考するのを、やめるかやめないかだけで、思考するのをやめないかぎり、 いいかえれば、それが安楽な椅子に腰をおろそうとするのに抵抗して、つねに立ち つづけようとすることをやめないかぎり、死ぬ瞬間まで持続可能だという気がしました。 それにしても、野坂昭如といい、磯崎さんといい、また花森安治といい、戦後の焼跡 を見て、そこに立ち尽くした経験を持つ作家たちの思考というのは、本当にしぶとく、 戦後の闇市を見てきた作家たちが社会を見る眼は、たえずもうひとつの世界を見て るような感じがします。やはり、どんな強固で屈強な都市も(そして思想も人も)一瞬 にして焼跡となることを原体験として知っていることは大きいし、また市場や商店の 裏には闇市というオルタナティヴなマーケットとエコノミーがあることを実地に見て、 記憶していることは大きいなと思うわけです。では、そういう焼跡の経験もなければ、 闇市の記憶もない僕らのような世代に「できることは何か?」。おそらくゴダールなら、 「自分のなかにベトナムをつくるように、自分のなかに焼跡と闇市をつくることだ」と いいそうですが、では、そのためには「何をすればよいのか?」.....と、こんなふうに 問うと、ついむずかしく考えこんでしまいがちですが、この「何ができるのか?」とか 「何をすればよいのか?」という詰問調の構文が、実はひとの思考を窮屈なところに 追い込んでいるように思えてしかたがないので、そういうときイルコモンズはいつも シンプルにこう考えます。とにかくまず映画を見よう、本を読もう、話はそれからだと。 磯崎さんのこの本は、今度またそういうふうに考えたとき読んでみようと、そう思った 本です。 ------------------------------------------------------- [追記] 「グローバルマーケットの裏にアートが闇市をひらき、廃墟のこどもたちは、 みなそこで踊る」。もしかすると僕らはそんな国際展をみそこなったのではないか、 と考えだしたら、また腹がたってきたので、それを忘れないように、招待券のことは、 次のトリエンナーレまでずっと書き続けることにします。「ギフトをおこたるとマナや ハウがだまってないぞ、末代まで仁義のたたりと報いがあるぞ」ということは野蛮人 なら誰でも知ってる「野生のコモンセンス」なのですが、それが、つねにその時代の 「新たな野蛮人」であるべき現代美術の社会の常識として共有されてないのは実に 嘆かわしいので、来年の「文化人類学解放講座」では「野生のコモンセンス」として クラ交換だけでなく、ポトラッチやマナの話もすることに決めました。
by illcommonz
| 2005-12-21 13:22
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