「私がここでいう広い意味での「暗い時代」とは、今世紀の極悪非道な行為と同じものではありません。暗い時代は、新しいものではありませんし、歴史的にまれなものでさえもないのですが、未知のものではあるかもしれません。最も暗い時代でさえも人はなお、光を求める権利を持っています。そうした光は、学問の理論や概念よりもむしろ、少数の人たちがともす、不確かで、ちらちらと揺れる弱い光から発せられます。そうした人びとは、その暮らしと仕事のなかで光をともし、その光は、この地上で彼らに与えられた時間をこえて輝くのです。しかし私たちのように、すでに暗さに慣れてしまった目には、それがろうそくの光なのか、太陽のそれであったのかを語ることはむずかしいのです。」(ハンナ・アレント「暗い時代の人々」抜粋)
というアレントのこの本のハイライトは、たぶんベンヤミンについて書かれた章だと思う。ベンヤミンは経済的にも恵まれず、不世出の学者のまま、最後はゲシュタポに追われて、逃亡途中に自死した。むかしベンヤミンのことを調べていた時に読んだのだが、近頃、いろんなところで「暗い時代」という言葉が口にされるので、久しぶりによみかえしてみた。再読した感想としては、この本にいまの21世紀型の「暗い時代」を生きなければならなくなった不遇からぬけだす手がかり(「暗い時代をのりきる10のアイデア」的なもの)はよみとれなかった(いまはそういう情報が求められている)。ただ、アレントがそう考えたように、自分が何者であり、何ができる者であるかを、自らの行動と言葉で示すときに与えられる「人間性の光」というものが、「信頼の喪失」や「政府」によってかき消されるとき、「暗闇が招来される」のだとすれば、暗闇を寄せ付けないようにするには、自分が何者で、何ができるかを、毎日の暮らしと自分の仕事のなかでコンスタントに示し続けることが大事なのだな、と思った。レイシズムの暗闇やポピュリズムの暗闇を、まずは自分の身に寄せよらせないためにも、それは大事だと思う。
[追記]
上のアレントの画像、きりぬいてステンシルにできるかなと思ったが、あまり使い途はなさそうである。