![]() はじめに、ふた、ありき
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家畜にしてしまう者たちがいる (ペーター・スローターダイク)
![]() それは、「野生のコモンセンス(いきものが共有する感性)」を 去勢し、ひとをショッピングとスペクタクルしか能のない飼い ならされた動物=家畜のような存在にしてしまうものだと 思っています。それに抵抗して、いかにして「野生のコモン センス」をとりもどし、「新たな野蛮人」となるか?それを 考えるうえで、アガンベンの『開かれ』という本は抜群に おもしろかったです。 やや変則的ですが、まず、第11章の「ダニ」から読みはじめて、第10章にもどり、 そこから第12章に進んで、そこから一気に最後まで読みとばすのがよいようです。 J・ユクスキュルのダニの「環境世界」の話はそれだけ読んでも十分面白いのですが、 それをハイデガーの「ミツバチの放心」の話につなげて読むと、実存主義なんか 知らなくたってどんどん読めてしまいます。なかでもお気に入りは、メルヴィルの 「バートルビー」の話とリンクする次の箇所でした。 人間を特徴づけるのが豊かな世界をつくろうとすることだとすれば、動物はその 世界のまずしさによって規定できる。とはいえ、動物は単に世界を欠落させてい るのではない。動物は放心のなかで充分にひらかれているがゆえに、世界を きりつめ、世界なしですますことができるのだ。つまり動物たちは、まずししさと 欠乏によって規定することができる。 この動物の「放心」と通じ合うのが、人間の「倦怠」、つまり、何もせず、頭をオープン マインドにして、何時間でもただじっと何かが起きるのをフリースタイルで待ちぶせて いる時の「感じ」だというのがアガンベンの主張で、おそらくこれはバタイユの「脱自」を、 うんとカジュアルに読みかえてみせたものなんだろうなと思いながら読みました。 一見すると、単なる怠惰のようですが、見方をかえれば、これは労働行為に対する 強力なサボタージュであって、実のところ、野生(ワイルド)とは、野獣のように凶暴に ふるまうことではなく、主権者のコントロールや命令をうけつけないこういう反家畜的な ふるまいと持続的な耐久性能(ポテンシャル)のことであって、僕らの生活に強引に ひきつけていえば、ショッピングやスペクタクルのエサを必要とせず、チープな物資と ありふれた情報をやりくりし、それだけで十分事足りて暮らしぬいてゆける野良(のら) 動物のごとき生-活力(バイオパワー)がそれだと思います。 デリダも晩年に「我、動物の後を追うものなり」というテキストを書いてましたが、 ここではこれを、バロウズのテキストにつなげてみたいと思います。バロウズは、 こう書いてました。 戦争時計を1917年にもどしてみよう。(...) 防衛予算をおおいに削ろうではないか。 火打ち石式銃、火縄銃、剣、手槍、鎧兜、弓矢、投槍、石斧、棍棒の昔にもどって 戦おう。いや、そこでやめることはない、歯や爪を生やそう。毒の牙を、針を、棘を、 尾羽根を、嘴を、吸盤を、悪臭分泌物を。そして、これらを武器にして泥にまみれて 戦いぬくがいい。私のいう革命とはこういうものだ。(...) 動物になれ、動物どもになれ。 分別のある人間なら、これを「まったくこどもじみた夢想で話にならん」というでしょうが、 そういう判断を下す「人類学機械」を停止させ、それにつきあってみるのがアートの役割 ではないか、とイルコモンズは思いますし、すでにそうしている人たちもいます。 ![]() この写真は、イタリアのアートシアターGiardini Pensiliがアガンベンの『開かれ』を 戯曲化した"Animalie"の公演ポスターと舞台写真です。いったい、どんなふうに 戯曲化したのか、ぜひ知りたいところです。
by illcommonz
| 2006-01-12 07:17
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