
ニンゲンになるのは、一回ぐらいパスして、一度、こういうモノに化けて、
生きてみたいものです。これは以前どこかのサイトで偶然見つけたもので、
ドイツのボン市に実在する「文化的コモンズの驚くべきかたち」という
キャプションつきで紹介されていた物件です。電車の駅なんかにも
これと似たものがありますが、これは文字通りの青空文庫、天下御免
のオープン&フリー・ライブラリーですね。こういう格好をしたものが
そのへんの公園にずらーっと並んでたら、さぞかし愉快でしょうね。
それを想像するだけで気分が晴れやかになる、よくできたイマジナリー
アーキテクチャーであり、ソーシャルなコンセプチュアル・アートだと
思います。ローテクだけど、建てつけがよく、丈夫そうなのがまたよくて、
知恵の樹みたいでいいですね。建築家のルイス・カーンによれば、
学校の「原風景」というのは「樹の下」であるらしく、何か事情があって、
ある知識が必要になったとき、ひとは大きな樹の下にいって、そこに
いつもいる人たちから、その知識を分けてもらっていたそうです。
そういえば、ベルトルッチの『水の寓話』という映画でも、老いた師が
若い弟子が戻ってくるのを何十年も待っていたのは木の下でした。
(この映画、戦後のイタリア・ネオ・リアリズムのスピリットが突然、
インドに舞い降りたかのような素晴らしい映画ですから、ぜひどうぞ)
東京都の知事さんも、こういうものを考えて実際につくってしまう人こそを
「ヘブン・アーティスト」と呼んで、そのパトロンになるべきだと思いますね。
もしいま東京の公園にこういうものをつくったたしたら、即刻、撤去される
でしょうね。知識や情報を無償で自由に交換し合う、こういうパブリックな
インスタレーションこそ本当のパブリックアートじゃないのかと思うんです
けどね。たとえ、実用できなくても、ギフト・エコノミーのモニュメントや、
未来社会のモノリスのようなものとして、これはすごくよいと思います。
もし死んで生まれかわったら、こういうモノのイルなヴァージョンになって
みたいものです(というか、自分でつくればいいのか)。兎も角まちがっても、
「白いポスト」にだけは生まれ変わらないようにしよう。