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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼見よ ぼくら 四人称複数 イルコモンズの旗(WEB版) 第一部
d0017381_2394174.jpg【解説】 このテクストは今から3年前に雑誌『現代思想』の
「帝国を読む」特集号(03年2月号)のために書いたもので、
イルコモンズ名義で発表した最初のテクストです。そして、
イルコモンズは、このテキストから生まれました。

もともとは、現代美術(家)の視点からアントニオ・ネグリと
マイケル・ハートの著書『帝国』の評論を書くようにと、
依頼をうけたのですが、ご覧のとおり、この特集号には、
S・ジジェクや市田良彦、長原豊、陳光與といった名うての
書き手たちが名を連ねていて、そんなところでヘタに
解説めいたものを書いてみたところで、とても太刀打ち
できないだろうと考えた末に、ルーブ・ゴールドバーグの
漫画みたいに、『帝国』というテクストにいろんな雑多な
ものをつなぎあわせて、独自にアレンジメントし、おもに『現代思想』やネグリとハートの
本の愛読者以外の読者にむけて、『帝国』という本を全部読み、すべて理解しなくても、
このテクストのなかには、いろんな用途や目的にあわせて使える"パーツ"や"フレーズ"が
たくさんコンパイルされているという合図(コール)を送るつもりで書いたものです。

d0017381_2325963.jpg




ルーブ・ゴールドバーグ
「妻への手紙を投函し忘れぬこと」
ご覧のとおり、「帝国」「マルチチュード」から始まって、「グローバリゼーション」「消費社会」
「万博」「ダダカン」「目玉男」「岡本太郎」「暮しの手帖」「花森安治」…といった具合に次々と
話題がシフトしてゆき、いわば、DJメガミックスのような「雑種のテキスト」になっています。
特に第三部は「花森安治論」として読むこともできますので、いまちょうど世田谷文学館で
開催中の「花森安治と暮しの手帖」展のためのイントロダクションのようなものとして
編集しなおしてみました。

これを書いてから3年が経ちますが、いまでも基本的な考えは変わっていません。ただ、
おしまいの方に書いている「抵抗の地平」としてのアンダーグラウンドについては、多少、
考えが変わりました。いまは、アヴァンギャルドでラジカルな抵抗の表現よりもむしろ、
(イル)コモンズ的な暮しのなかでの抵抗のほうに関心がむいています。

いずれ機会があれば、また書きなおすかもしれませんが、とりあえずは、この状態で、
コピーライト・フリーのテキスト(無断引用・無断転載可)として、パブリック・ドメインに
アップしますので、「花森安治と暮しの手帖」展のためのイントロダクションのみならず、
「イルコモンズ・アカデミー最終講義」のサブテキストとして読んでいもらえれば幸いです。

「ぼくらの許可なく、この歌を歌った者は、ぼくらの友だちである。
何をしてくれたって構わない、公表しても、書いても、歌っても、
踊っても、ヨーデルにしたって構わない」
(ウディ・ガスリー)

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d0017381_23363783.jpg「見よ ぼくら 四人称複数
イルコモンズの旗」WEB版(2006年)
[●=イル ■=コモンズ]

著者たちの了解を得ず無断で、このテキストを
引用および転載することを禁ずることを禁ずる。
*copyright free

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d0017381_042323.jpg●やまのあなたの空とおく、帝国は亡びるとも、
帝国主義は死なず、と人の云ふ...はずが、
いまや「帝国主義」が亡(ほろ)んで、その
屍(しかばね)のうえに「新たな帝国」が君臨
しようとしているんだそうだ。ネグリとハートの
『帝国』にそう書いてあったよ。「帝国」なんて、
とっくのモダンの昔に死滅したはずなのに、
今やそれが、グローバル企業やWTOなんかに
姿をかえ、その超国家的パワーと最新のテクノ
ロジーを使って、僕らの暮しと生活を根こそぎ
支配しようとしてるらしいね。

■マイクロソフト、マクドナルド、ディズニー、GAP、そして古くは、コカコーラ社の
ビジネス・モデルが「帝国」のそれだ、というのは、これまでにもずいぶん云われ
てきたことだから、いまさら、という気がしなくはないけど、たしかに、これまで
「グローバル・ビレッジ」だとか、「宇宙船地球号」だとか、もっぱら善のイメージで
とらえられてきた「グローバルな世界」が、実は、巨大な悪の帝国と化していて、
いまや地球は「帝国の惑星」なのだと、グローバルな世界の暗黒面を暴いてみせた
ところが、ベストセラーになった理由なんだろうね。

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●ベストセラーになった理由は「帝国 Empire 」というストレートなネーミング
にもあるね。「スター・ウォーズ」を見たことがあれば、こどもにだって分かる言葉だ。

■ただ、分かりやすい反面、古いタイプの「帝国」と混同されてしまうという欠点が
なきにしもあらずで、しかもネグリとハートがいう新しいタイプの「帝国」は実のところ、
かなり厄介なしろものだね、なにしろそいつは、中心もなければ領土もなく、しかも、
いたるところに偏在すると同時に、どこにも存在せず、つねに越境し、流動することを
やめないというものだからね。

●だからこそ、名前が必要なわけで、名前があれば話題にしやすいし、話も通じやす
いからね。

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■それにしても、「脱領域的」で、「ハイブリッド」というと、これまでは、ポスト
モダンやポストコロニアリズムの反体制側な抵抗者たちの専売特許だったのに、
いまや敵までがそうだというのには、正直よわってしまうね。僕らがたのみにして
きた戦術が、新たな帝国への抵抗の手段としては、通用しないというのは、実に
悩ましいかぎりだ。それに、ちょっと前までは、グローバリズムの時代を生きぬく
ための標語として「シンク・グローバル!アクト・ローカル!」なんて云われてたけど、
もはやローカルは、帝国に対する抵抗の拠点とはなり得ないというのがネグリと
ハートの主張だからね。

●「シンク・グローバル、アクト・グローバル!」って書いてたね。そもそもローカルと
グローバルという二分法自体がまやかしであって、それが敵を見誤らせるのだと。

■そして、ローカルを囲い込んでいる帝国の壁を突破し、そこからユニバーサルに
リンクせよ、エクソダスは何よりまずローカリズムからの逃亡だとも書いてたっけ。

●そもそも巻頭句の「どんな道具も右手に持てば武器となる」というフレーズ
からして、ネグリたちの包み隠さざる政治的意図というか、願いは、この本を
抵抗のバイブルとする抵抗勢力が現れるてくることなんだろうね。

■そう云ってしまうと身も蓋もないけど、現実問題として坐っている人間を立
たせるのが一番難しいわけで、消費社会の暖衣飽食の中ででっぷり肥え
太った羊たちをいかにして未来の狼の群れにつくりかえ、庶民の中で眠り
こけている力を抵抗の底力として目覚めさせるかという難問中の難問に
真正面から挑んでいるわけだ。それに、もうすぐ出版されるネグリの次の
本のタイトルは『革命の定刻』というらしい。そこでネグリは、革命はいつ
起こるかという、これまた難しい問題と正面から格闘している。

●かたやネグリとハートが教える新たな帝国への抵抗の構えは正面切った
ものじゃない。それこそモダンの昔のように真正面から相手に挑んでゆく
対決の構えではなく、斜めへ斜めへと向かう斜向性の構えでなくてはならず、
新たな帝国との闘争は、滅却と離脱の戦術において勝ち護られると云ってる。
いわばマイナスのたたかいだ。もとより帝国が胴元になっている資本主義の
ゲームとそのルールの中では到底勝ち目はないから、まずはそのゲーム
から降りること、そして帝国の管理から身を逸らし、姿をくらましながら、
帝国の身体に風穴を空けてゆくのが新たな抵抗運動の活動方針のようだね。

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■それがネグりたちの云う「道なきところに抜け道を見つけ、壁を突破してゆく
新たな野蛮人」の身のこなしでもあるんだけど、身というものは立ててゆか
なければならないものでもあって、野蛮人は帝国への抵抗の中で新たな
暮しのモードを発見しなければならないとも云っている。この暮しということ
ついてはまた後で話すとして、『帝国』の読みどころは帝国もさることながら
マルチチュードだね。

●そう、もし二十一世紀に奇跡というものがあれば、資本主義の消滅が
それだと思う。どんなに想像を膨らませてみても、資本主義が終わった日の
街の光景やその翌日からの暮し、そしてそこでのしあわせというものを
僕はリアルに想像することができなくなっている。ネグリたちが云うように
世界市場の完全なる実現が帝国主義の約束の地であり、終着点であり、
世界の終わりだとすれば、尚更のことその彼岸を考えることは難しい。
無理に想像しようとするとカタストロフとその後の廃墟しか思い描けない
始末だ。酷い想像力の貧困だとは思うけど、これが僕の実感だ。でも、
未だその影でしかないとはいえ、マルチチュードの群像がイメージとして
投げ与えられたことで少しは想像力も働くようになった。想像することも
立派な非物質的な労働だからね。さしあたり今は仮想現実的なもので
しかないけど、それをアクチュアルなものとして想像する糧にはなった。

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■思うにネグリとハートの真骨頂は負の状況を逆手にとって危機を好機
に転じさせる転覆劇というか逆転劇のシナリオメイキングにあると思う。
それは半ばヤケクソの楽観主義と云えなくもないけど、そこがまた魅力
でもある。とはいえ彼らが物語る革命のストーリーはトランプの大貧民
みたいに一気に全てがひっくり返るという革命のロマンティズムがなき
にしもあらずで、そこは頂けないけどね。

●「インテルメッツオ=(間奏曲)」の章はタイトルからして『ミルプラトー』
を思わせるね。インテルメッツオはリゾームの別名で、ノマドの生活は
インテルメッツオなのだとドゥルーズとガタリは書いていた。この章の
読みどころはマルチチュードだけど、見逃せないのは、マルチチュード
が帝国とインターフェイスしあっている管理の局面だ。ネグりたちによると、
新たな帝国の管理は、フーコーが暴いてみせたような、躾(しつけ)や
監視や処罰ではなく、帝国はそうした規律化を行う特殊な施設や機関
を持たないという。帝国には搾取の場がない、ということはつまり、僕ら
の生活のすべての場がそうだということで、帝国は僕らを野放しにし、
自由気ままに活動させながらも、僕らの生活にがっちり喰い込んで、
僕らの生を根こそぎ喰い物にしている。

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■とりわけ消費生活者という身分でね。そしていまや帝国の支配は
僕らの脳と身体にダイレクトに及んでいるわけだけど、もっともこの
へんのことはこれからあちこちで解説されるだろうから、そちらに
任せるとして、僕流に云ってしまえば、帝国の管理は、征服でも
植民地化でもなく規律化でもない、24時間365日、至れり尽くせりの
サービス地獄、でも知らぬがホトケの生の完全管理。ありがたいのか
ありがためいわくなのかろくに判断のつかないような現実だ。僕は、
帝国の管理とは何か、という問いには答えられないけど、帝国で
生きる気分はどうか、という問いには帝国の六十三億分のーの
下僕として、こんな感じだと答えたくなる。

●もともと僕らは定職のない無産者だから、労働者の立場ではなく、
ルンペン生活者の立場から『帝国』を読んだわけだけど、そんな
僕らの毎日の衣食住をはじめ、趣味や娯楽、睡眠から栄養補給、
はては恋愛から遺伝子まで生活のあらゆる場面に手厚いサービスが
用意されていて、いつどこにいても、たとえ移動している時でさえも
空から衛星が面倒をみてくれる。そういうきめ細やかなミクロの
管理だ。でも、なにひとつとして無料ではない、かといって地上に
逃げ場はないし、帝国には外部はない、ローカルもない、そして
「何物も通貨からは逃がれられない」、これが帝国ライフの掟であり、
サービスという名の下における柔和で横暴なる管理だね。

■我、買うゆえに我あり。これはバーバラ・クルーガーの箴言だけど、
実際のところ僕らは消費のための労働と消費のための余暇という
二つの、というより、二つきりの消費者としての生を24時間365日
生かされている。帝国ストアが売り出す商品のとりこじかけの明け
暮れに他ならない消費者の生をしこたま生かされている。帝国の
マーケットは眠らないし休まない。時と場所とを問わず、どこにいて
も、たとえそこにいなくても、そこかしこで、見よ、食え、買え、買い
かえよ、そして世界に向けて情報発信するのはあなたです、と
勧めてくれる。汝、自らを富ませよ」が帝国ライフのモットーだ。
帝国に奉仕されているのか奉仕させられているのか、愉快なのか
不愉快なのかろくに判断もつかないありさまだね。
........................................................................
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 [間奏曲]
 インビジブルな元・帝都で
 すきまなく飛び交う怪電波
 高度資本主義のメッカ
 敗者の肉を食らうハイエナ
 出せ 払え さらに使え
 迫りくる帝国の影

 リアルが歪んだ
 あの帝国 からんだ とたんだ
 経費は かさんだ 景色は すさんだ
 あの帝国 からんだ とたんだ
 事実を つまんだ 
 ディテールは ずさんだ

 スチャダラ・パー「Shadow of the Empire」
.....................................................................................
 (つづく)
[PR]
by illcommonz | 2006-03-30 01:20
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