はじめに、ふた、ありき
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[先週までのあらすじ]
テレビを見るのをヤメ、テレビゲームから足を洗うと、 このスペクトルの趣味が、だんだんだんだん すこしづつすこしづつ、ぼんやりぼんやりと 変わってきて、ある日、パチン!とスィッチします。 ゲシュタルト反転的に、コペルニクス転回的に、 スィッチします。 たとえば、こんな具合に、 ↓ 見るものばかりでなく、 自分の手でつくるものまで、 そのテイストや好みがガラッと 変わってしまいます。 CMYKの世界が イイ感じに見えてきます。 とはいえ、テレビのスイッチを消し、テレビを見るのをヤメても、 「いま・そとにある」世界は何にも変わりません(あたりまえ)し、 世界の見方がそれほどドラマチックに変わるわけでもありません。 でも、それを長く続けていると、カントが哲学や思想の手にあまる 手ごわい相手だと考えた人間の「趣味判断」、つまり、 何を「イイ感じ=快=OK=KOOL=快」と感じ、 何を「ヤな感じ=NG=F××K=不快」と感じるか という「好き嫌い」の趣味やテイストが変わるかもしれません。 イデオロギーや思想や 道徳や倫理や正義にですら 簡単には変えることのできない、 我と我が隣人たちの「趣味判断」の モードを切り替えてみるための、 そのきっかけづくりとして、 毎年恒例のアドバスターズの ↑ このアクションはオモシロイなと思うワケです。 Reclaim the public space!!!!!!!! 平成十七年度テレビ消灯週間今年も4月25日から 世界同時多発的にはじまります。具体的には、 空港や駅などの公共の場で垂れ流しになってる テレビ放送をアドバスターズ特製のリモコンで 消してまわる、というのがそれなのですが、 その宣伝広告を見ていたら、 今から30年以上前に、花森安治が『暮しの手帖』で こんなキャンペーンをうってたのを思い出しました。 ↓ よく知られるように、 こうした花森の抜群の広告センスは、 戦時中、大政翼賛会宣伝部に勤務 する中で磨かれたもので、戦後の花森は、 そのセンスとスキルを180度反転させ、 国家(花森の云い方では"くに")への 異議申し立てと「来るべき民主々主義」 のために転用してみせたわけです。 このへんはアドバスターズが、消費型 資本主義のエージェントである広告の スキルを反資本主義の運動に転用して みせるのと同じやり口になっているの ですが、 「ある家庭のみそ汁の作り方を改めさせるほうが、 内閣の一つ二つを倒すよりむずかしい」 と書き、「はじめに暮しありき」と考えた花森は、カント以上に、 ひとの「趣味判断」を手ごわい相手だと考えていたようで、 だからこそ花森は、『暮しの手帖』を通じ、人びとの「暮しの趣味」を 「改めさせる」ような料理やファッション、インテリアの具体的な提言と オルタナティヴなライフスタイルを宣伝し続けたわけです。 雑誌『暮しの手帖』の表紙の裏に今でも毎号掲載されている 花森の書いたマニフェストには、暮しの趣味の改革者としての 花森の思考と実践を読みとることができます。 とまれ、この二十一世紀のポストモダーンな世界において 人を動かすことのできるものは、もはやイデオロギーや 思想や道徳や倫理や正義なんかではなく、 「趣味判断」ではないか、と、イルコモンズは(も)、 そう考えるので、あ、っ、た(完)。
by illcommonz
| 2005-04-10 12:39
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