はじめに、ふた、ありき
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イルコモンズの「文化人類学解放講座」
「文化人類学者に"なりそこねた人たち"と"なりすました人たち"の肖像」より ........................................................................ 【復習】 「ある学問がどんな学問なのかを 知りたければ、その学問を 研究している人びとが実際に どんなことをしてるかを まず見るべきである。」 クリフォード・ギアツ 前回は、文化人類学者クリフォード・ギアツの、このことばをうけ、 それを「文化人類学がどんな学問なのかを知りたければ、文化人類 学を研究している人びとが実際にどんなひとたちなのかをまず見る べきである」とよみかえて、文化人類学者たちの肖像写真とその著 作(の表紙と題名だけ)を見てみるということをしました。 つづいて今回は、このギアツのことばをさらによみかえ、文化人類 学がどんな学問かを知るための別の実験をしてみましょう。前回、 見た文化人類学者たちは、生まれたときから文化人類学者だったわ けはなく「文化人類学者になった人たち」です。なった人がいると ころには「なりそこねた人たち」が必ずいます。そこで今度は、 「なりそこねた人たち」の姿や生き方、またその作品をみることで、 文化人類学がどんな学問なのかを考えてみたいと思います。 ▼文化人類学者になりそこねた人びと (jpg/264KB) ミシェル・レリス(詩人) ロバート・フラハティ(映画作家) ジュルメーヌ・ティリオン(アクティヴィスト) グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者) カート・ヴォネガット(SF作家) ジャン=リュック・ゴダール(映画作家) ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家) アスガー・ヨルン(画家、シチュアシオニスト) デイジー・ベイツ(福祉活動家) キャサリン・ダンハム(舞踏家) ジャン・ピエール・ゴラン(映画作家) ジョゼッペ・シノーポリ(指揮者) ゾラ・ニール・ハーストン(小説家) マヤ・デーレン(映像作家、ダンサー) テオ・アンゲロプロス(映画作家) カルロス・カスタネダ(作家) ジョゼフ・コスース(現代美術家) ジェローム・ローゼンバーグ(詩人) ローター・バウムガルテン(現代美術家) ディヴッド・トゥープ(現代音楽家) トリン・T・ミンハ(映画作家) ヴェルナー・ヘルツオーク(映画作家) サム・ライミ(映画作家) ブルース・ナウマン(現代美術家) クレメンティーヌ・デリス(現代美術家) ジョアン・ビンゲ(SF作家) スーザン・ヒラー(現代美術家) フレッド・ウィルソン(現代美術家) ルネ・グリーン(現代美術家) アミタフ・ゴーシュ(SF作家) ディヴィッド・グレーバー(アクティヴィスト) ダン・グレアム(現代美術家) メアリー・ケリー(現代美術家)エド・ルッシュ(現代美術家) イルコモンズ(元・現代美術家) ジェイムズ・クリフォード(文芸批評家) ミルナ・マック(人権活動家) 土方久巧(彫刻家) 岡本太郎(芸術家) 牛山純一(TVプロデューサー) .................................................................................... 【具体事例】人類学者になりそこねた作家たちのプロフィール ウィリアム・S・バロウズ (作家/芸術家) 1936年、ハーバード大学で人類学と文学と言語学を学んだ後、 大学院では文化人類学を専攻。マヤ文明の考古学とナヴァホ・ インディアンの言語学を研究し、後にその成果が、カットアップ 小説「ア・プーク・イズ・ヒア」に結実する。 岡本太郎 (芸術家) 1938年、パリ大学ソルボンヌ校の民族学科に入学。詩人の ミシェル・レリスらと共にマルセル・モースから民族学を学ぶ。 後にその成果が「縄文文化論」や絵画作品に結実する。 カート・ヴォネガット Jr. (SF作家) 1944年、シカゴ大学人類学部で文化人類学を専攻。当時の 学部長はロバート・レッドフィールド。1947年に同学部に修士 論文を提出するが、審査で不合格となる。論文のテーマは、 世界の神話や文学、童話のグラフ分析(!)。後にその成果は、 「チャンピオンたちの朝食」での世界の客観的観察記述と 相対主義的視点に結実する。(→資料1:テキスト jpg 資料2:インタヴュー mp3) ジャン-リュック・ゴダール (映画作家) 1949年、パリ大学ソルボンヌ校で人類学を専攻。人類博物館 にあったアンリ・ラングロワのシネマテークに通いつめ、ロバート・ フラハティの民族誌映画「ナヌーク」などの作品にふれる。ジョル ジュ・デュメジルの神話学に啓発されるが、映画の批評と制作に 専念するため大学を中退。その影響は映画「ウィークエンド」での エドワード・タイラー「古代社会」の朗読などにもみられる。 ジョゼフ・コスース (現代美術家) 1975年、NYのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで 人類学と哲学を学んだ後、論文「人類学者としての芸術家」を発表。 意味やルールなどの見えない文化を見えるものにするという点で、 現代美術家の仕事と人類学者の仕事には、たがいに共通する ところがあると論じる。 .................................................................................... 【自由研究1】 人類学者になりそこねた作家たちの生き方や作品をみる YouTubeというインターネットの動画アーカイブにある 下記のムービーを参考に、人類学者になりそこねた 作家に共通するものの見方や考え方、また、生き方 や信念があるとすれば、それは何か考えてみましょう。 ▼ウィリアム・バロウズ「感謝祭 一九八六年十一月二十八日」 (Thanksgiving Day,Nov.28,1986. 1991年). ▼カート・ヴォネガット「ザ・デイリー・ショウ~カート・ヴォネガットにきく」 (Kurt Vonnegut on the Daily Show. 2006年) ▼岡本太郎「岡本太郎は爆発する」 (Taro Okamoto Explosion. 2006年) ▼J-L・ゴダール「ウディ・アレン会見」 (Meetin' Woddy Allen 1986年) この4人の作家はみなそれぞれに非常に個性の強い作家たちなので、 まず彼ら以外の、SF作家や詩人、芸術家、映画監督たちと彼らを 「比較」してみると(「比較」と「収集」は文化人類学の基本的手法です) その特徴がよくみえてきます。そのうえで、この4人に共通するものを 考えてみてください。ヒントは、近代、文明、社会、西欧、常識、良識、 価値観、前衛、実験、政治、編集、批評などです。 この「文化人類学者になりそこねた作家たち」のものの考え方や作品 には文化人類学者(になった人たち)が、専門的で個別的な研究に 没頭するあまり、しばしば忘れてしまいがちな文化人類学の原点や 原像のようなものをみることができます。もっともそこではそれが、 いくぶんラディカルで、アヴァンギャルドで、クリティカルなかたちで 現れていますが、このラディカル(根本的・過激)であること、アヴァン ギャルド(前衛的・実験的)であること、そして、クリティカル(批判的・ 批評的)であることもまた文化人類学という学問の隠れた面なのです。 そこで次は、先ほどのことばを、さらにより実験的に こう読みかえてみたいと思います。 「文化人類学が どんな学問なのかを知りたければ、 文化人類学を研究している人びとに なりすましている人たちを まず見るべきである」 (文化人類学解放講座) 「なりそこねた人たち」がいるところには、たいてい、 「なりすました人たち」もいるもので、たとえば、 映画のなかに、それをみることができます。 そこで、次は、いろいろな映画のなかで 「文化人類学者の役」を演じた人たちの 演技と科白をみてみることにします。 いうまでもなく、それらはすべて、脚色され演出された「ニセモノの文化 人類学者」で、文字どおり「文化人類学者になりすました人たち」で しかないのですが、そうしたニセモノには「ホンモノの文化人類学者 たち」以上に、また「文化人類学者になりそこねた人たち」以上に、 文化人類学の原点や原像がきわめてはっきりと目に見える かたちで示されています。 .................................................................................... 【自由研究2】人類学者になりすました俳優たちのことばと行動をみる ▼文化人類学者になりすました人びと (jpg/141KB) 映画「Dr.ジャガバンドー」「たたり」「マニトゥ」「人喰族」「食人族」「カバルリ」 「ブレアウイッチ・プロジェクト」「緑のアリの夢見るところ」ほかより いかがでしょう。「文明」「西欧中心主義」「自文化中心主義」 「人種差別」といった言葉とともに、それに対する批判的な立場が、 ややショッキングで、かつドラマチックなかたちで示されていたと 思います。これについては今後の講義でくり返しとりあげてゆく 予定ですので、それはひとまずさておき、今回は「文化人類学」 という学問を、抽象的なことばで定義するのではなく、具体的な 目に見える事例を通して考えてみる、ということをしましたが、 これは文化人類学の基本的な方法でもあります。また、文化人類 学という学問を、文化人類学者たちの姿かたちからだけでなく、 文化人類学者になりそこねた人たちやなりすました人たちの姿か ら考えてみるということをしましたが、実はこんなふうに、一見 すると「いかがわしい」ものや「例外的なもの」あるいは「副次 的なもの」や「周縁的なもの」を積極的にとりあげ、そこから、 ものごとの見えない側面や、当たり前すぎてもはや話題にもされ ないような前提にもう一度照明をあて、それについて考えなおし てみるという、このやり方もまた文化人類学の手法なのです。 ........................................................................ [お知らせ] この「なりそこね」と「なりすまし」から、文化人類学という学問を 「考えなおす」という実験は「自由研究」ですので、もしこの問題に 興味をもった人がいたら、これを自分のレポートやゼミの発表、 卒論、修士論文、博士論文、研究助成申請書類、あるいは講義や シンポジウムなどのテーマにしてもらってかまいません。 アカデミックなコモンズ(共有物)として解放しますので、 どうぞ自由に研究してみてください。
by illcommonz
| 2006-04-20 13:19
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