今朝、岡本敏子さんが亡くなられました。
死因は心不全、享年79歳でした。
先月の
『情況』(5月号)に書いた、岡本太郎の「明日の神話」に
関する評論に対する返事の手紙を、ついこないだ貰ったたばかりで、
その手紙には、「明日の神話」をメキシコから日本に移送する
プロジェクトの今後のことが綴られていて、最後に「よく見ていてね。」と
そう結ばれていたので、尚更のこと、計画半ばでの死が惜しまれます。
思えば、3年前、岡本太郎記念館での赤瀬川原平さんの講演の後の
食事の席で、太郎が書いた「殺すな」のことを知らなかった椹木野衣と
僕に「阿呆!何だそんなことも知らないのか!」と渇を入れてくれたことが、
後に
「殺す・な」をたちあげるきっかけともなったのですが、あの時は本当に、
敏子さんを通じて、あの世から岡本太郎に怒鳴られたような気がしたものです。
(詳しくは
『文藝別冊 岡本太郎』収録の「殺すなからはじめよ」をご覧下さい)
左の写真は01年の冬、
「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」
展をひらいた際、かつて太郎が
遊んだ南青山の太郎の家から
NADiffギャラリーまでの路上で
行ったパフォーマンスに参加して
くれた時の敏子さんの写真です。
この時、まわりには大ぜい人が
いたのですが、何故かこの写真には
敏子さんしか写ってなくて、しかも、
なんだか遠くからこちらを見てる...
敏子さんが遠くに逝ってしまった今、この写真を見ると、妙に胸に迫るものがあります。
ついに、太郎が敏子さんを呼んで、むこうに連れて行ってしまったんだな、と。
そして、残された阿呆どもは、これから何をすべきなのか、と、喪に服しながら思案中。