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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼原始の森の子
d0017381_218779.jpg食べ物のことで一度も羽目をはずしたことがないという人は、そもそも
食事というものを経験したこともなければ、また、これまで食事をしてきた
とさえ云えないだろう。節度をわけまえた人が知ることができるのは、
せいぜい食事の愉しみくらいのものであって、そういう人は、食べものに
対する貪欲さや、単純な食欲から逸脱して物をむさぼり喰らうという
原始の森につながる道を決して知ることはない(ヴァルター・ベンヤミン)

豊田市美術館の「内なるこども」展で、高山辰雄の「食べる」(1973年)という絵を見て、
ベンヤミンのこの言葉を思い出しました。高山自身は「子どもが無心に食べている姿を
見ると哀しくなる」と語ったそうで、カタログの解説にも、こんなふうに書いてありました。

「"食べる"は生命"感"の縮図であり、そこには苦しみにもだえながらも、なおも生き
続けたいと願う人間の悲しみと寂しさが横たわっている」

でも僕がこの絵から感じるのは、哀しみでもなければ寂しさでもなく、いくら食べたって
どうせまたおなかが空くに決まってるのに、その"いきもの"としての運命に逆らって、
今日もまた、ものを食べて生きてゆく人間の"抵抗としての生"のあり方みたいなもので、
高山のこの絵が好きなのは、近代の理性や常識によって飼い慣らされた大人たちが
見失ってしまった「原始の森」につながる道を、この野蛮児のようなこどもの姿が
照らし出してくれているように見えるからです。

d0017381_11211333.jpgかつてはみんなこどもだった。だから、資本や生活習慣に
飼い慣らされていない、こうしたこどもの野生のコモンセンス
(共通感覚)を、まだどこかにもってるはずで、高山の絵は、
その眠りこけている感覚を目覚めさせてくれるような絵です。
「衣食住」の商品化とグローバリゼーションが進むなかで、
まずまっ先に自分たちの手にとり戻さなければならないのは、
「食」だなと思ってます。まずは、こどものころに感じた、あの
空腹感。一点のくもりもない青空のような底抜けのはらぺこ感。"それに勝る
調味料はなし"といわれる空腹"感"を自分でセッティング(そんなの誰でも
できる)のがまずはスタートで、そうすれば人間らしく、そして野生的に、
自分の手でつくったものを、こうやって手づかみで食べるようになるだろうし、
またそうなれば自然と顔もこんなふうにリセットできるはず。

「内なるこども」展では、この他にもまだたくさん、いい絵やいい写真をみることができ
ましたが、まずは一番好きな高山のこの絵から。

[追記] 上の写真は展覧会とはなんの関係もないものですのでご注意。
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by illcommonz | 2006-06-18 02:54
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