「本や雑誌は、今後も出版され続けるだろうが、
その構成や文体はますますウェブページに
近づいていくだろうし、映画は今後も上映され
続けるだろうが、その演出や編集はますます
ゲームやビデオクリップに近づいていくだろう」
(東浩紀)
イルコモンズもそう思う。そして本当にそこまでポストモダンにならない限り、
イルコモンズの本も出ないだろう...ということで、
フィルムアート社から出る
かもしれなかった
イルコモンズの単行本は、このたび担当編集者の方が、
一身上の理由で、前述の本の編集を最後に会社を退職されたので、出ません。
話は白紙にもどり、「ブログの本懐」は瓦解しました.○o0O ほわんほわんほわん。
共著なども含めると、出版の話が企画倒れになるのは、たしかこれで5回目で、
定職と同様、出版とも縁がないようです。まぁ、しかし、考えてみれば、もともと、
「本というモダニズム」や「作品というモダニズム」を脱構築するというところから、
ものを書いたり、ものをつくったりすることをはじめた世代で、まさにデリダの
こういうことばにのせられて、「著書」という閉じたシステムに回収されないような
テクストや、「美術作品」と呼べないようなインスタレーションばかりつくってきて、
そのあげくに「作者」というものまで脱構築しようとしてるのがイルコモンズという
実験なので、書いたものやつくったものが本にならず、あちこちに散らばったまま、
分裂してるのは、ある意味、「ポストモダンの本懐」かもしれないなと思ってます。
とはいえ、本当に、本がウェブのようになり、映画がビデオクリップのようになり、
そして、大学がイルコモンズ・アカデミーのようになったときには、そういうポスト
モダンのフォーマットで、何かしてみたいものですが、もっとも、その時にはもう
誰が何を書いたかとか何を云ったかとか何をつくったかとかがほとんど意味を
なさなくなってるはずなので、たぶん何も為さずに.○o0O ほわんほわん、と、
よどみに浮かぶコモンズは、百代の過客にして、かつ消え、かつ結びて、久しく
とどまりたるためしなし。(おそまつ)