はじめに、ふた、ありき
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「自殺予告 新たに5通 2通は差出人特定 文科省」
文部科学省は10日、いじめを苦にした自殺予告などの手紙が新たに5通届いたことを 明らかにした。5通のうち2通は教員名などが記されており、差出人を特定。それぞれ 学校に対応するよう指導した。うち1通は、いじめではない悩みを訴える内容だった。 この2通については、個人情報を理由に詳細を明らかにしなかった。5通はいずれも 伊吹文明文科相あてで、3通は差出人を特定できる情報がなかった。消印は「尼崎北」 「町田」「成城」で、東京都教委、兵庫県教委などに調査するよう指示した。6日に届いた 手紙に触発されたとみられ、「わたしも同じ考えです。気もちわかります」「11日に (6日の手紙の子どもが)自殺したらその子のあとに自殺します」などと書かれていた。 いま、あたまのなかで、うす暗い想像力とあかるい想像力がせめぎあってる。ひとつは、 明日、ひとつの死がきっかけになって、死のチェイン・アクションが起きてしまうこと。 (そうなったら文科相と都知事はそろってクビになってもらいたい)。もうひとつは、 どこの誰かは知らないけど、どこかで泣いている見知らぬこどもたちのことを想像し、 同情の気持ちにつきうごかされた人たちが、いつもやらないようなことをやりはじめる。 おばさんは別に用事もないのに外にでて、思いつめた顔をしたこどもがいないか、 なんとなくきょろきょろする。タクシーの運転手もきょろきょろする。ティッシュ配りの バイトの子たちもきょろきょろする。コンビニの店員もきょろきょろする。みんなが きょろきょろする。もちろん子どもたちもきょろきょろする。社会全体がきょろきょろする。 どこの誰かは知らないけど、どこかで泣いてる子どものことを思ってきょろきょろする。 子どもを死なせてはならないと思ってきょろきょろする。猫だってきょろきょろする。 ミュージシャンはめったに歌わない歌を歌うかもしれない。アナウンサーもいつもは あまり口にしないことばを発するかもしれない。公園や駅前に立って人生について 語る老人だって現れるかもしれない。なんというか民主主義社会というのは、そういう 感じなのだ。特定の誰かのためにではなく、どこの誰かも知らない、顔のみえない 誰かのために泣いたり心配したり同情したりして、ひとりひとりが自分にやれることを やろうとする人間たちの群れが社会であり、そういうのがギフトエコノミーの社会だと 思う。ずいぶん昔に見たきりなのでストーリーは覚えてないが、フランク・キャプラの 映画のなかにはそういう社会があり、そこで生きるというのはどういう感じなのかを 教えてくれた気がする。こういう事件が起こったときイタリアや南米の社会なら うまくやれるような気がする。まだまだ人間も捨てたものではないなぁ、と思わせて くれるような、ちょっとした奇跡をみせてくれるような気がする。映画の見すぎなの かもしれないが、そんな気がする。ラテン世界というのは、そんな感じがする。 かたやこの国はどうだろう。いま、デモクラシーの想像力と実行力が試されて いるような気がする。そこで頼りになるのは、やはり、あの度しがたき者たち、 理屈や正義ではなく、情動でうごく者たちのような気がする。そしてそれには おそらくラテンもニッポンもないだろうと思う。
by illcommonz
| 2006-11-11 02:51
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