![]() はじめに、ふた、ありき
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話は去年にさかのぼる(そして今回はめずらしく長い話になる)。去年の暮れのこと、ふとした拍子で気鬱をこじらせ、神経を衰弱させた。ブログを休んでいた時期のことである。ほどなくして気鬱はおさまったが(今でもときどき再発するが)、時を同じくして、神経痛になった。「心身二元論」の立場からすると、神経衰弱と神経痛のあいだに因果関係はないが、「野生の思考」の立場からすると連合関係はある。そして、この神経痛には、ちゃんとした名前がある。「肩関節周囲炎」、俗称「四〇肩」というのがそれである。腕を上げたり下げたりすると肩に電気のようなパルシーな痛みが走る。まあ、そういう歳なのだから、別に文句はない。厄年なのだから、そのくらいのことはあるだろう。厄年というのは、そういうものだ。
それに、別に肩のひとつやふたつ(幸い肩はふたつかしか)こわれても、デザインくらいできるし、映像だってつくれる。講義をするのにも支障はない(困るとすれば鉄棒で逆あがりをしてみせたり、インティファーダに参加するときくらいのもので、あまりそういう機会はない)。ただひとつ、大好きな太鼓がたたけなくなったり、ギターが弾けなくなるのは困る。ものすごく困る。 そこで、ほかのことはさておき、太鼓を叩く筋肉と、ギターを弾く筋肉を維持するためにトレーニングをはじめることにした。といっても、なんのことはない、時間をみつけて、太鼓を叩き、ギターを弾くだけのことだ。やってみたら、太鼓は問題なく叩けることがわかった。よしよし。ところが意外にもギターの方が難儀だった。どうも具合がよくない。別にピート・タウンゼントのように腕をぶんぶんふりまわすとか(あれは「ウィンドミル奏法」という)、シド・ビシャスのようにベースで客の頭をぶんなぐったりするわけではなく(あれは演奏ではない)、はたまた、ジミ・ヘンドリックスのようにギターを頭の後ろまわして曲弾きするわけでもない(ためしにやってみたら激痛が走って涙と笑いが同時にでた)、どちらかといえば、デレク・ベイリーのように、足をぶらんぶらんさせながら椅子にすわって、勝手気ままに雑音を出すだけなのだが、どうにも腕がだるい。しかもストロークが億劫である、、、これが厄年というものなのか、おそるべし厄年である。 そこで、これははまずい、と一念発起し、ギターをもういっぺん"ちゃんとやる"ことにした。ちゃんとやるというのは、ちゃんとしたギターをまず手にいれるということである。そして、ちゃんとしたギターというのは、ちゃんとネックとヘッドがあり、ボディがあり、そして弦が6本張ってあるギターのことである。というのも、いま家にあるギターは、ネックのないピックアップとボディだけの「首なしギター」だったり(これはアンプに近づけてフィードバックループさせ、ハウリングの悲鳴をあげさせるのに使う)、それとは反対に、ネックとピップアップしかない「胴なしギター」だったり(これはピックアップを弦にこすりつけてスライドさせて使う)するからで、実はくだんのスチールギターもベースの弦を張って使っていた。唯一、五体満足なのは、ガットギターだが、これは旅行用の小さいものである。それになにより、ギターといえば、やはりエレキ(ギター)である。トレーニングするなら断然エレキである。エレキをもって肩のエレキを制す、である、と心にそう決め、スチールギターを売って、エレキを買うことにした。 なにせGuyatoneのスチールギターなのだから、よもや二足三文であるはずはないだろう。最低でも2万円くらいにはなるだろうと思い、弦を張り替え、プラグの掃除をし、長年の手垢や錆びをきれいにして風呂敷にギターを包んで、御茶ノ水の楽器街に向かった。以下はそのときの記録である。 ![]() まず、Guyatone とは何か?それは「音楽を通じて暮らしに潤いや豊かさをもたらす製品、明日の世界を担う若い人達の知的想像力を豊かに刺激する製品を企画し、新しい生活文化の創造を提案する為、優秀な技術と最良の製品を社会に送り出すことに、経営者も社員も一体となって情熱を傾けることのできる企業(以下省略)」というのは、同社の公式サイトにあるマニフェストにある文言で、Guyatone (愛称「グヤ」、以下「グヤ」と表記)といえば、テスコ(TEISCO)と並んで60年代から70年代にかけて国産エレキギターの黄金時代を築いた楽器メーカーであり、いわゆる「ビザール・ギター(*解説=基本設計は一流メーカーの有名機種をコピーしたものだが、コピーしたつもりがコピーしそこねて独特のルックスやテイスト、そしてオリジナルにはない不可解なサウンドや付加機能を備えもってしまった世にも好奇なギターの総称)」の老舗である。現在は海外ブランドや他の国産メーカーに押され、エフェクター類が同社の主力製品になっているが、かつてはエレキといえばグヤであり、グヤのつくるエレキはフェンダーをはじめとする外国製ギターのコピーでありながら、オリジナルとは似て非なるストレンジなプロダクトを次々と世に送り出してきた。そのへんは左の写真をみた方が話が早いと思う。つまりそういうことである→画像参照 一見すると、フェンダーのジャガーのようだが、さにあらず、モズライトやリッケンバッカーのようにもみえるが、さにあらず、どれもコピーでありながらオリジナルとは似て非なるシュミラクルの逸(脱)品である。朱に交わりても赤くなるとは限らないシュミレーション、それがザ・グヤトーン・ビザール・ギターズである。エレキブーム以後、こうしたコピーギターづくりの伝統は、グレコやアリアプロなどの後発メーカーに引き継がれたが、残念ながらそこからは、こうしたビザールギターのすぐれた(こまった)迷品は生まれなかった。 ちなみに、イルコモンズが生まれてはじめて見て・さわったエレキはグヤではなく、テスコのもので(*テスコもグヤと並んで、というかグヤ以上に、世にも不思議なギターを世に送り出してきたビザールの名門である。代表作は「テルスター」と「クイーンメイ」である。クイーン・メイはその後、復刻されたらしいので、ネットで検索して、見て、笑おう)、いきなりシビれた(といっても感電したわけではない)。それは、フェンダーのジャズマスターのようにピックアップの切り替えスイッチがたくさんついたタイプのもので、どこからどうみてもビリビリしそうな電気製品なのだが、それにしてはコンセントがついてないので不思議に思った記憶がある。そのころはまだ小学生だったので、アンプにつないで音をださせてはもらえなかった。よって最初のエレキ体験はアンプラグである。以後、パンク、ニューウェーブ、アヴァンギャルド、そしてもういちど、パンク、グランジ、ポストロック、そしてさらにしつこく、パンクとアヴァンギャルドにふれ、そのつどいろんなギターを手にし、分解と改造の脱構築を繰り返してきたが、今はそれは省く(*その一部は「殺すなCOBRA」の非公式ライヴ映像で見ることができる)。 話が逸れたので、話を元に戻す。そんなグヤなので、いや、そんなグヤだからこそ、イルコモンズが自宅でコレクションしておくのはもったいない、もっと陽のあたる場所に出して、ひろく世間の目にふれたほうがいいと思い、ちゃんとしたギターを買うための資金調達のために、手放すことにしたわけだが、あにはからんや、グヤとビザールギターをめぐる状況は変わっていた。 お茶の水の楽器市場を席捲していたのはフェンダー社をはじめとする米国ブランドの定番製品で、グヤとビザールの評価は地に落ちていた(とはいっても高く評価されたことなど一度もないのだが)。その状況を一言でいうなら、グ・ロ・ー・バ・リ・ゼ・ー・シ・ョ・ン・である。 風呂敷に包んだグヤを抱え、中古楽器の買い取りをやってる下倉楽器、クロサワ楽器、イシバシ楽器の戸をたたいてまわったのだが、のきなみ査定価格は低い。はじめは、ラップスチールギターだからか、と思ったが、どうもそうではないらしい。実際、下倉楽器では街路に面したショーケースに中古のスチールギターが並べられ、それには12万~15万という立派な値がついている。イルコモンズがもちこんだギターは、YahooAuctionにでている同機種のこれよりも、はるかにコンディションもよく、同じく同機種のこれとほぼ同等のものなのだが、買い取り価格はその出品価格よりも低い。なぜか?答えはこうである。 「フェンダーじゃないから」 すなわち、ある店員さんいわく「フェンダーだったら売れるんですけどねぇ」。つまりそういうことである。いまやフェンダーが世界標準であり、「フェンダーにあらざるものギターにあらず」なのである(これはちょっと大げさか)。それによく考えてみれば、ここはお茶の水である。「ギタープレイヤー」や「ヤングギター」「ロック専科」(←今でもこの雑誌あるのだろうか?)に代表されるメインストリームのロック好きやギター小僧(←今でもそんな若者がいるのだろうか?)たちが集うキング・オブ・ロックの街である。ロックの王道にあってはビザールギターはあくまで邪道であり、ロックのメインストリームにあっては傍流の水たまりであり、そしてロックの王宮にあっては道化師である。どうやら来るところをまちがったらしい。吉祥寺か高円寺に行けばよかった。店で聞いた話では、グヤやテスコをよろこんで買っていくのは、主に海外から来たお客(コレクター)らしい。実際、海外のサイトなどではヴィンテージ扱いであり、コレクターズアイテムになってる。そういうわけで、お茶の水で売るのは、いったん保留することにし、でも、せっかくお茶の水まで来たので、日が暮れるまで楽器店めぐりをすることにした。 まずはフェンダーをみる。というより、フェンダーばっかりなので、嫌でも目に入る。もちろんフェンダーが嫌いなわけではない。それどころか、"ちゃんとしたギター"として思い定めていたのは、フェンダーのテレキャスターとかジャガーとかジャズマスターのことである。もしテレキャスターで手ごろな値段の中古品があれば、ヘッドとボディを燃えるような赤に塗り替えて使おうと思っていた。テレキャスターのリアピックアップのまわりとマスターヴォリュームのまわりについてる、あのむきだしな感じのパネルの金属感がすきなのだ。もちろんピックガードもはずし、さらにむきだしにするとなおよい。1985年のLIVE AIDで、ちょっと中年肥りしたエルビス(エルビスといってもプレスリーではなく、コステロである)がダークスーツに真っ赤なギターを抱えてステージにあがり、ギター一本で「ALL YOU NEED IS LOVE」を歌ったのがとても印象的で、歳をとったら赤いギターを持とう、とそう決めていた。しかし手頃な値段のものはなかなかない。そうするうちに、目にとまったのは、テレキャスター・テキサスシリーズである。モズライトのギターについてるような、ごっついトレモロアームのついた(ピグスビー・ビブラート・テールピースというらしい)モデルである。まるで拷問具か工具のようなアームである。赤の発色もよい、うっとりしてみるが、定価11万(店頭価格9万)円である。プレカリアートにはとても買えない。さらに復刻とはいえ、よくできているので、改造もしにくい。あと10年してこれが中古市場に出たら、そのときにまた考えよう。50才で赤いギターを手にするのも悪くない考えだ。その時まで別のギターでトレーニングをして、肩を大事に生きていようと思った。 次に目にとまったのは、フェンダーUSA公認のカスタム・ショップがつくったカスタムー・ヴィンテージである。複製のヴィンテージとはいえ、これもよくできている。塗料の剥げ具合といい、ネックの染みといい、これこそテレキャスであり、これが楽器である。傷ひとつないピカピカのギターから出る音など信用できない。打刻やピックガードの傷は、そのギターの音の履歴であり、無冠の勲章である。1940年代生まれのオリジナル・テレキャスターの年齢はすでに60歳である。第二世代にしてももう40歳を超えている。それを考えると、テレキャスはやはりキズのあるものが一番しっくりくる。テレキャスを買うなら中古に限る。とはいえ、このヴィンテージ・シリーズの値段はどれも70万から90万である、あははのはである。たぶん一生これを手にすることはないだろうから、よく観察しておく。まったく買う気がないので、ためいきも出ない。長年使いこまれたギターがどんなふうになるのか、隅々までよく観察する。 ショップでいろんなものをみていると、だんだん日常的な金銭感覚がおかしくなってくるので、そこから180度反転して、激安テレキャスをみてみる。グヤにはじまるコピーギターの伝統はいまも健在で、かつて通信販売を通じて市場を開拓したアリアやグレコのように、現在は、バッカス、レジェンド、トライアンフ、そしてK-ガレージといったメーカーがネットを通じてコピーギターを販売している。もちろんテレキャスのコピーもあり、それらは「テレキャスタータイプ」という名称で呼ばれている。テレキャスはすでにコピーされるものではなく、不変普及のギターの「タイプ」になったらしい。つまりバイオリンのそれのように、いまやそれが「ギターというものかたち」なのである。しかし残念ながら、こうした現在のコピーには、かつてのグヤのようなビザールなテイストはまるでなく、ただのテレキャスタイプである。つまりタイプにブレやズレがないのだ。一方、気になる値段は、9,800円から15,000円という低価格帯で、もともとこれはローエンドユーザー向けのエントリーモデルであり、俗に「使い捨てギター」を呼ばれる由縁である。次に気になるのは、いったいこれが、どこで(どの国で)大量生産されているかである。価格から考えてスウェットショップでつくられているような気がする(だからいくら安くても、また改造用であっても、これは買わない)。さらに、楽器としての性能や耐久性はまったく不明である。これはぜひ「暮しの手帖」に「商品テスト」をしてもらいたいものだ(たぶんあまり「ちゃんとしたギター」ではないと思う)。
by illcommonz
| 2007-03-17 21:55
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