
「本センターが推進しようとしている「協働実践研究プログラム」はまさしく、これまで支配的であったこうした研究のあり方を根底から乗り越えて行くことをめざしている。それは、研究者の「専門分野」の論理に従ってテーマをぶつ切りにすることなく、また「研究」と「実践」を分離することもなく、各分野における第一線の専門家である研究者と実務者・実践者が共に参加し、各々の実績を踏まえながら協働して現実の課題に分野横断的に取り組み、その成果を実践の場に還元していくことだ。それはまた、自己の生き方に無反省なまま「知的」高みから社会を見下ろしつつ「現場」から収奪したデータをもとにひたすら「業績」なるものを積み上げることだけに腐心する「アカデミシャン像」を否定し、研究面で「社会に開かれた大学」をつくり上げていく試みでもある。その意味で「協働実践研究プログラム」は真の「大学改革」を研究の分野において推進していくまさに拠点として構想されているのである」。
勤め先の掲示板で見つけた、ある研究機関のパンフにこう書いてあった。骨のある良い文章だと思った。問題はこのプロジェクトが本当に「実践」されることだと思った。ちなみに、この手の文章でいちばん好きなのは、生前、サイードが書いた次の文章。これをよむと、ちょっと勇気がでる。そして知識人ならずとも「実践」したいものだと思い、イルコモンズ・トラベリング・アカデミーはそこからはじまった、といえば、できすぎた話みたいだけど、うそのようなほんとうの話。

「知識人は、君主よりも旅人の声に
鋭敏に耳を傾け、慣習的なものよりも
一時的なあやういものに鋭敏に反応し、
上から権威づけられて与えられた現状よりも、
革新と実験のほうに心をひらく。
漂白の知識人が反応するのは、
果敢に試みること、変化を表象すること、
動きつづけること、決して立ちどまらない
ことなのである」
エドワード・W・サイード「知識人とは何か」