のようなものを書きました。
これは来月の「月刊オルタ」の原稿として
書いたので、いまここに全文を転載することが
できませんので、一部抜粋して転載します。
「今回、選挙という制度を見事にリサイクル
して、「高円寺一揆」がやってみせたのは、
自分たちが実現したいと思っている社会の
姿を、単なる公約として語るのではなく、
それを、いま・ここでリアルに体感できる
ものとして差し出すことだった。松本哉
いわく「やりたかったのはまさにこれで、
こういう騒ぎを毎日やるのが革命後の
世界なんだ」。文化人類学が教えるように、
社会的危機の時代には、社会的地位や
階級、財産の有無などによって分断された
社会が、自由で平等な人間同士の実存的
なつながりをとりもどす場が出現し、人類学者たちはそれを「コムニタス」と呼んできたが、
駅前で何度も繰り返された激しいモッシュとダイヴは、まさにコムニタスだった。見ず知ら
ずの他人と生ま身でぶつかり合い、お互いの身体を受けとめ合うそれは、一揆後の社会
の原型のように思えた。」
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「コムニタス」というのは、そのむかし、文化人類学者のヴィクター・ターナーが提起した
もので、最近になってイタリアの哲学者
ロベルト・エスポジトがそれをリメイクし、
いままたリバイバルしてきている分析概念です。