
今日、日仏学院で開かれたアントニオ・
ネグリとのビデオストリーミング討論会に
いってきました。この手のアカデミックな
シンポジウムの現場で、テクストから
読み取れること以上の、水際立った話が
聞けたためしは、あまりないのですが、
ネグリ本人に直接、質問をぶつけること
のできるめったにないチャンスですし、
『現代思想』の「帝国」特集号に原稿を
書いた時からずっと気になってたことも
あったので、それを質問のかたちにして
投げてみました。たまたま僕らの前後の質問がそのものずばりマルチチュード概念の「定義」
と非物質的労働の「解説」を乞う、直球勝負な質問だったので、ちょうど好い具合にチャンジ
アップ的な配球になりました。以下がその質問です。
【質問】
時間が限られているので、単刀直入にお聞きします。前半のセッションでは、
フランスやドイツの現代思想が、あなたの思想的なバイオグラフィーの中に
どのように書き込まれているかということに話題が集まりましたので、それを
うけるかたちで質問します。ヴィトリオ・デ・シーカの映画『ミラノの奇蹟』は、
あなたの知的バイオグラフィーの中に、どのようなものとして書き込まれて
いるのでしょうか?『ミラノの奇蹟』は1951年、つまりあなたが18歳の時に
封切られた映画で、『帝国』の中で、あなたが「貧者」の希望を語るなかで、
かなり唐突なかたちで言及している映画です。この映画とマルチチュードの
関係について、何かお話しいただけるでしょうか?

『ミラノの奇蹟』は、戦後のイタリアン・ネオ・リアリスモを
主導してきたデ・シーカが、急に、なにを思ったか、
突然つくってしまったファンタジー映画で、文字通り、
「昔むかしあるところに...」という語りだしで始まる
筋金入りの「物語」であり「寓話」です。

主な登場人物は、ミラノ郊外の資本家の土地にバラック
小屋を建てて棲みついているポーヴェラの貧者たちで、
いまちょうど世界の都市部で進行しているエヴィクション
(立ち退き)に対し、この貧者たちが一致団結して抵抗
するという、そういう「おはなし」です(つづく)
【第2話へ】