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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼カルチャージャミング・スタディーズ「新しい・宗教・と・消費・社会」
▼カルチャージャミング・スタディーズ「新しい・宗教・と・消費・社会」_d0017381_5233529.jpg先週の週末、駒沢大学で開催された「宗教と社会」学会
第15回学術大会テーマセッション「映像宗教学の射程」
でのイルコモンズの11年ぶりの学会発表を公開します。
もし使えるところがあれば、ご自由にお使い下さい。

【学会名】「宗教と社会」学会第15回学術大会
【分科会名】テーマセッション「映像宗教学の射程」
【報告場所】駒沢大学一号館203教場
【報告日時】2007年6月10日(日)
【報告題目】「グローバリズム時代の大量消費社会における「新たな宗教」に抗する「儀式的抵抗」とその記録映像をめぐる予備的な一考察~英国「ヴァキュームクリーナ」のアクティヴィストによる「ウィールマート」と「ショッピング礼拝」のプロモーション・ヴィデオを中心として」

【報告者】小田マサノリ(中央大学・東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

【報告目的】消費活動を現代社会の「新しい宗教」としてとらえ、「儀式」「礼拝」「悪魔祓い」「呪い」などの宗教的行為ならびに宗教的イディオムを、社会運動のアクションや社会批評の言説に「転用」したアクティヴィストによる「カルチャージャミング」の実例、ならびに、その手法や方法論を「映像資料」を使って提示すること

【引用】
・「私たちはショッピングの時代に生きている」(スーザン・ソンタグ)
・「我、買うゆえに我あり」(バーバラ・クルーガー)
・「今まさに我々は、未開社会のなかで生きている。コカコーラやGMといったトーテム、
 呪術的な言葉、儀式、タブーといったものにかこまれて生きている。形態はなにひとつ
 変わってはいないのだ 」(ジャン=リュック・ゴダール)
・「フランスの社会学者アンリ・ルフェーブルは「消費活動が中央集権的に調整される社会」
 という概念を提唱した。ぼくらの時代はまさにそんな世界になってしまっている。「文化」は
 「消費文化」となり、ぼくら自身も市民というより、消費者となってしまった。なにかが
 おかしいと言わざるを得ない」(カレ・ラースン)

【報告内容】
「宗教と社会」学会 第15回学術大会用 発表映像
「新しい・宗教・と・消費・社会」(16分 日本語字幕つき)



[出演] ザ・ブレシング・プラネット、ザ・ヴァキュームクリーナー、
叛乱の想像力研究所、ビリー神父とストップ・ショッピング・ゴスペル合唱団ほか
[資料提供] アドバスターズほか
[音楽]: アドバスターズほか
[映像編集] 小田マサノリ
[日本語字幕制作協力] 古谷優子・キニマンス仁希・本田えい!こ
[制作] CJASP (culture jamming to the academic society production)

▼YouTube版
http://www.youtube.com/watch?v=q3sKxt4MoUA

▼Google版 (ダウンロード可)
http://video.google.com/videoplay?docid=1650025753153438374&hl=en
▼Excite版 (ダウンロード可)
http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48009020/48009020peevee50268.flv
▼MySpace版
http://vids.myspace.com/index.cfm?fuseaction=vids.individual&videoid=2036248423

【引用映像一覧】
▼カルチャージャミング・スタディーズ「新しい・宗教・と・消費・社会」_d0017381_5261383.jpg
【第一部】儀式(Ritual)
001:The Breathing Planet "Whirl-Mart Ritual Resistance" (2003) 1'49"
002:En Ko"pfri Dag "Whirl: Buy Nothing Day Stockholms" (2004) 1'00"
003:Unknown "Helsinki Whirl-Mart" (2005) 0'50"
004:Adbusters "Buy Nothing Day 2004" 1'30"
【第二部】礼拝(Prayers)
005:The Vacum Cleaner "Prayers to Products" (2003) 3'44"
006:The Laboratory of Insurrectionary Imagination "Prayers to Products" (2004) 1'50"
【第三部】悪魔祓い(Exorcism)
007:Rev.Billy & The Stop Shopping Gospel Choir
"Rev Billy Sidamo Prayer Campaign Against Starbucks" (2007) 2'15"
【第四部】:呪いを打ち砕く (Breaking the Spell)
008:Crimethinc "Breaking the Spell" (2000) 2''10"
009:Adbusters "Culture Jamming" 0'30"

【映像解説】ここからダウンロード可
【報告要旨】ここからダウンロード可

【考察1】ラルフ・レイダーズからアドバスターズへ
①カルチャージャミングとしてのウィールマート
「ウィールマートは、ショッピングをしないことで執行されるシンプルな儀式だ。グループで入店し、空っぽのショッピングカートをただ押すだけだ。これはカルチャージャミングのテクニックのひとつとして世界中で使われてきたが、2001年の4月にニューヨークのトロイで一回きりの実験としてスタートしたものだ」(ザ・ブレシング・プラネット)

②カルチャージャミングとは
「カルチャージャミングの語源は、長いあいだ人びとの価値観を「調整」してきたスペクタクルの流れを遮断するという意味がある。流れを止めるには「驚き」という要素が欠かせない」(カレ・ラースン)

③デトーナメントとは
「私の言うことが100%分からなかったとしても、私はあなたが「ブレイク」のコツを覚えてくれればいいと願っている。「ブレイク」というのは、シチュアシオニストたちのいう「デトーナメント」のことだ。「デトーナメント」とは、日々の生活の中で物事の見方が大きく揺さぶられ、視野や視点が大きく変わることだ。あわただしい日常の中で少し立ち止まり、逆立ちして世の中を見渡してみたまえ。この本にある風刺的なビジュアル・アートは、いずれも「デトーナメント」をおこなっていて、普通の人たちが気づいてない物事の本質を突き刺してはいないだろうか? (…) デトーナメントとは、文字通りにとれば、「転用」「方向転換する/逆手にとる」ということだ。」 (カレ・ラースン)

【考察2】メディアとローセオリー
①「典礼的価値」から「展示的価値」へ
本報告で紹介した事例ではいずれも、本来的には「典礼的価値」をもった宗教的行為やイディオムであるが、それが不特定の人々に「見せる」ことや「アピールする」ことを目的とした社会運動のデモンストレーションやアクションに「転用」されることによって、「展示的価値」をもつものに変換されていることがまず確認される。

②メディア性
次に「儀式」「礼拝」「悪魔祓い」「呪い」が特に選ばれているのは、それらが人の目をひくものだからだろうか?それもあるだろうが、もうひとつの理由として、そのいずれもが、本来的に「目に見えないもの」(神、悪魔など)や「見えない状況」(崇拝、呪縛など)を可視化し、それとコミュニケーションをはかるメディアとしての側面を持って
いるからではないだろうか。別の見方をすれば、こうした「転用」によって、宗教的行為やイディオムのなかに潜在していた「展示的価値」と「メディア性」が過剰にひきだされているともいえる。

③スペクタクル化
もうひとつ注目すべき点は、こうしたデモンストレーションやアクションの様子が「映像化」され公開されることで、宗教的行為やイディオムが二重に「展示的価値」を帯びてしまっている点である。この「展示的価値」の倍化によって、宗教的行為やイディオムが一種の「見世物的なもの」に変貌してしまっている。そうした意味で、これを「スペクタクル化」とよんでもよいだろう。さらに別の角度からみれば、こうした「転用」は宗教的な敬虔さや厳粛さを侵しかねない、その侵犯性やスキャンダラス性によって、その「スペクタクル性」がより増しているともいえる(ただし、いずれのアクションやその映像も宗教の冒涜を目的としたものではなく、その侵犯はもっぱら消費社会にむけられている)

④模倣と複製、そして変種
さらに、こうしたスペクタクル的な映像が、インターネットというより開かれたメディアやネットワークを通じて広く配信されることで、「ウィールマート」にみられたような、時間と空間を隔てたところで様々な「模倣」や「複製」を生み、さらには、「ショッピング礼拝」のような発展形やヴァリエーションを派生させているという点も無視できない。

以上のような「転用」や「映像化」によって、その価値を大きく変え、なおかつインターネットによって配信されたものは、もしこういう言い方が許されるなら、「神出鬼没なもの」とならざるを得ず、それは予測不能な現われ方をするだろう。こうした「怪物的なもの」をはたして学術研究は積極的に研究の対象とすることができるだろうか。いや、それ以前にこうした「宗教的なもの」の「転用」に対して宗教学はどのように対処することができるだろうか? また、こうした新しい「社会運動」の特異なロー・セオリー(「カルチャージャミング」)とその実践に対して社会学はどのように対処することができるだろうか? そしてまた、こうした「文化」の攪乱者たちに対して文化人類学はどのように対処することができるだろうか?さらには、こうした「映像」の報告者は、それをどのように編集し、また、どのような場やどのようなかたちで提示すればよいのだろうか?それはいずれも今後の課題であるが、本報告で紹介した事例は、既存の学術研究に対して、そうした問いや課題をつきつけてくる「学問に対するカルチャージャミング」でもあり得る。

「アナーキズムが必要としてるのは、ハイセオリーではなく、むしろ、ローセオリーと呼びたいものだ。それは変革のための企画から出てくる現実的で、直接的な問題にとりくむための方法論である。」(デヴィッド・グレーバー)

【補遺】今後の課題のための参考文献一覧

・ヴァルター・ベンヤミン 『複製技術時代の芸術』晶文社 1999年
・カレ・ラースン 『さよなら、消費社会』大月書店 2006年
・ダン・スペルベル 『表象は感染する』新曜社 2001年
・ポール・ギルロイ 『ブラック・アトランティック』月曜社 2006年
・デヴッド・グレーバー 『アナーキスト人類学のための断章』以文社 2006年 

以上です。

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発表後のフロアからのコメントとして、「研究対象に対するプロデューサー的な関わり方の可能性」を指摘していただきました。他には特に目立ったレスポンスはありませんでしたが、とてもキビシイ学会だと聞いてたので、とりあえず、怒られなくて済んでよかったです。

あと、mixiのコミュにひとつだけ、こんなコメントがありました。
「通常いわれる宗教的行為、儀礼的営みから、それを超えた「現代の宗教としての消費行為を捉える」という視点は、私が知る限りではバタイユ、中心的にはボードリヤールの『消費社会の神話と構造』のなかで見られた流れでありましたが、もっと旧来的な「宗教的行為」にも重きを置きつつ、実際に存在する消費社会の宗教団体を映像に記録・編集して捉えるというのは非常に新鮮に感じました」。

以上、「イルコモンズ11年ぶりに学会報告をする」の巻でした。

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[追記] ロストックの反G8行動に関するニュースでやたらとブラックブロックのことばかり
報じられてたので、ブラックブロックでの破壊行動についてのアクティヴィスト自身による
ローセオリーをもりこみました。【第4部】がそれですので、そこだけでもぜひご覧下さい。
ちなみにグレーバーが来日したとき、シンポジウムで云ってたのはこの映像のことです。
by illcommonz | 2007-06-13 05:49
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