【資料】下北沢路上解放戦線 ACT2 イルコモンズ篇
「とんでもない映画の覆面上映会議」配布資料

「グリフィスのフィルム(*「国民の創生」1915年)は、一九一〇年代のアメリカの
白い国民たちがいかなる映像を心の内側に抱いていたかをすぐれて示しています。
国家とは映像のことです。そして彼らは、その世界像の物語の起源をスクリーンに
映し出すことで、くりかえしくりかえし世界像に根拠付けを行おうと企てているのです。
国家を構成するのは映像です。徹頭徹尾、映像です。このことはグリフィスを見ても、
リーフェンシュテールのナチス党大会のドキュメンタリー(*「意志の勝利」1934年)を
みても、等しく指摘することのできる事実です。ひとつの国民がどのような映像を所有
しているか、それが問題です。アメリカ人がドイツ人が、自分の部屋に、机の引き出しに、
劇場に、TVに、どんな映像に囲まれて生きているか、それを思考することは、すなわち
国家を思考することに他なりません」四方田犬彦「世界の起源の映像」(1985年)

「"美しい国"とは映像のことです。いずれ彼らはその世界像の物語の起源をスクリーンや
モニターに映し出すことで、くりかえしくりかえし世界像に根拠付けを行おうと企てるでしょう。
"美しい国"を構成するのは映像です。徹頭徹尾、映像です。このことは「俺は、君の
ためにこそ死ににいく」ひとつみても、簡単に指摘することのできる事実です。だから、
逆に、"美しい国"をジャミングできるのも映像です。
徹頭徹尾リミックスした映像です。
これは「素人の乱」ひとつみても、簡単に指摘することのできる事実です。ひとつの国民が
どのような映像をコレクションしているか、それが問題です。アメリカ人が、ドイツ人が、
日本人が、自分のパソコンのなかに、ハードディスクのなかに、そして、YouTube の
うえに、どんな映像を投稿し、共有し、そして交換し合って生きているか、それを想像し
実践することは、すなわち国家のジャミングと「一揆後の世界」を創生することに他なり
ません」イルコモンズ「一揆後の世界の起源の映像」(2007年)