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▼才能と情熱の人・黒川さん、家族に見守られ逝くあふれる才能と感性で建築の世界を国際的にリードした黒川紀章さん(73)が12日、亡くなった。晩年には東京都知事選や参院選に出馬するなど常に新しい分野に挑戦し、エネルギッシュに駆け抜けた。黒川さんを知る人たちは口々に「残念だ」と死を悼んだ。黒川さんの事務所関係者によると、黒川さんは東京都内の病院で12日朝、妻で女優の若尾文子さんら家族に見守られながら息を引き取った。2週間前から体調を崩し、3日前に入院したが、病床でも建築デザインのチェックを続けるなど仕事への情熱を絶やすことはなかったという。「おととい、何となく『私、いい奥さんじゃなかった』と言ったら、強く否定して『本当に好きだった』と言ってくれた。これが二人だけの最後の会話になった」。12日夜、若尾さんはこう言って悲しみをこらえた。(読売新聞10月12日) ................................................................................. Q:(「共生」の)研究をはじめようと決心されたのは、いつ頃のことなのでしょうか? 黒川:一番はじめに遡れば、十歳の頃ですね。その時に決めた。空襲によって目の前で街が焼かれ、いろいろなことを考えました。父親の出身校であった愛知の東海学園に進学することになるんですけれど、そこが仏教校であったことも関係しているかもしれません。果して、仏教ってなんなんだろうと冷静に思いはじめて、その流れの中で「共生」ということについて考えはじめたのでしょう。そうやって子どもの頃に思い浮かべた夢に、今も向かって研究中ということだと思います。「週刊読書人」(2006年11月17日号) .................................................................................... 今から三年くらい前に一度インタヴューしたことがある。 「都市、万博、メタボリズム 破壊と再生のプログラム」 (黒川紀章インタヴュー)聞き手:五十嵐太郎+小田マサノリ 「10+1」No.36 特集=万博の遠近法 (2004年) この時、終戦の日のことを聞いた。「空襲で焼け野原になった名古屋の街を父親と二人で見て歩いていた時、そこで父が口にした「これから建築が必要になるぞ」という言葉をはっきり覚えている」という、そんな話だった。そしてこれは活字になってないが、インタヴューの後、都心が一望できる青山の事務所の窓から、東京の街を眺めながら作家が口にした「こんなものつくってよかったんだろうか、って時々思うよ」という言葉を覚えている。それからしばらくして、五十嵐太郎と一緒に晩飯をごちそうになった。その時は「東京計画1960」の話や上海の都市計画の話をきいた気がする。その話のなかで印象に残ったのは「都市にしろなんにしろ、僕はなにかとたたかうのが好きなんだよ」という言葉だった。おそらく後年の裁判や選挙もそうだったのだろう。この作家が子どもの頃に思い浮かべた夢というのが、どんなものだったかは知らないが、生涯それに向かい合いつづけることは、たたかいだったと思う。そういう、たたかうことの好きな人間が好きだ。 [追記1] 本当にたたかうのが好きだったらしい。 ▼奇襲作戦-他の主要候補者が演説している場所に突然現れ、対話しようとする選挙活動を一部のメディアが奇襲作戦と称した。選挙戦の最終日は新宿西口で演説中の石原慎太郎候補の近くに来て、「石原裕次郎の名前を出さないと当選できない石原慎太郎さんには、この歌を送ります」といい、石原裕次郎の名曲「銀座の恋の物語」を歌った。(Wikipedia より) [追記2] そして「本当に好きだった」らしい 76年にテレビ番組の対談で知り合った。その日の内に黒川さんは若尾の自宅を聞き出し、絵画を持参して訪問。交際が始まった。当時、黒川さんは前妻と別居中で、離婚成立直後の83年末に結婚した。プロポーズの言葉は「君はバロックのような女性だ」。若尾も再婚だった。若尾は世界を駆け回る黒川さんに合わせ、年3分の1の外遊に同行。ドラマや映画出演は控え、舞台中心となった。建築家と女優、生活の時間が違うだけに、ここ数年は、若尾は自宅、黒川さんは近くのホテルで暮らす「別居」生活を送った。「若尾は女優として国の宝。僕が独占しちゃいけない」が持論で、住まいを別にしながらも携帯電話で毎日話し合い、若尾は手作り弁当を毎朝ホテルに持参した。7月の参院選は黒川さんの依頼で若尾は共生新党から立候補。慣れない演説もこなし、演説する時は傍らの黒川さんと必ず手をつないだ。70代で仕事にまい進する黒川さんに、若尾はあるインタビューで「互いに気を使っているけれども口出しはしない。そういう関係がよろしいのではないでしょうか」と答えた。最後まで大人の関係を貫いた。 (日刊スポーツ 10月13日)
by illcommonz
| 2007-10-13 03:53
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