はじめに、ふた、ありき
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「月刊オルタ」で連載中のコラムにミャンマーのことを書いた。内容はこのブログに書いてきたことをまとめたものである。本来この「もうひとつの世界はいつでもとっくに可能だ」というコラムは、「もうひとつの世界は可能だ」というグローバル・ジャスティス・ムーヴメントの合言葉は決して夢物語ではなく、マスメディアが撒き散らす過剰な情報にうずもれ隠されてしまってるだけで、そういう世界はすでにあちこちでとっくに実現されていることをレポートするものなのだが、しかし、こないだの「原爆しょうがない」発言のようなことが起きると、コラムの趣旨をはずれて、優先的にそれについて書くようにしているので、今回もそうした。逆にいえば、こうしたパブリックな言論の場をもっているのに、それを使わないでいるのは、よくないことだと思うし、さいわい編集者もそれをゆるしくてくれる。ということで、今回はミャンマーの軍事政権がやったことに対して抗議する内容のものを書いたのだが、どうも満足がいかない。なにか足りない気がする。いろいろ考えてみた結果、足りなかったのはこういうことばだった気がする。
「ミャンマー軍事政権の野郎、世界なめんなよ!」 (DEMOCRACY FOR BURMA!!) SEIKO ITO,WRITER, JAPANESE,2007/9/27 その署名に読めるとおり、これを書いたのは、いとうせいこうで、これはブログに書かれたものである。つまり足りなかったのは、こういうストレートな怒りの表明で、こういうときは、政治家がやるような「不快感の表明」ではやはり足りないのだ。このあと、文章はこう続く。 「ミャンマー人が自分の国の名で検索をかけたとき、他国からメッセージが出ているとわかることがどれほど彼らの命がけの運動を励ますかしれない。もちろん誰も見なくてもいい。世界に働きかけうるという可能性は、先験的に立証されている必要がない。我々は単に考えたことを発言し、するべきだと思われることをするべきだ。あちこちのブログで、ミャンマー市民への支援メッセージが出ることを望む」 「ミャンマー人が自分の国の名で検索をかけたとき、、、」という、こういう思考こそがいまのグローバルな世界に対するリアルな「想像力」であり、いまのこの時代に必要なものだと思う。「命がけの運動を励ますかしれない」という考えは、決して夢物語ではなく、いまの時代には現実にあり得ることだ。イルコモンズもそう考えて、ものを書いたりつくったりするようにしている。どんなにその可能性は低くても、それは「あり得る」ことで、たとえなくても、こういうときの無駄はおそれないし、そこではミャンマー人だけでなく、アフガン人が、イラク人が、レバノン人が、と考える。さらに「運動を励ます」だけでなく、もっと先のことまで想像してしまう。たとえば、これから何年か後にミャンマー人に会ったらとか、アフガン人の友だちができたらとか、イラク人の家によばれたらと考え、そのとき「ところで、あの時、君はなにをしてたの?」とたずねられたとき、返答にこまらなくてもすむように、気まずい思いをしなくてすむように、文章でも映像でもブログでも、そのとき自分にできることを、計算不能な未来にむけてそうするようにしている。いまや世界はそんなふうにつながっていて、これからもまだとうぶん世界はつづいていくのだから。とはいえ、僕らはそのことをよく忘れるので、このエントリーは、そのことを忘れたときのために書いた。
by illcommonz
| 2007-10-15 00:03
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