(つづき)
この質疑応答の後、
自称・高円寺ネグリ派で、
『無産大衆神髄』の著者である
矢部(史郎)くんが質問にたって
「ブラックブロック」なんかの例を引きながら
「マルチチュードは、世間からなんとなく
"ぁゃしぃ"ものだと思われてる節があるが、
それについては、どう思うか?」という、
これまた意表をついた質問をしました。
『現代思想』や『図書新聞』なんかで、これまで再三「マルチチュード禁止(笑)」
を唱えてきた矢部くんなので、ぜひ、それも云ってほしかったのですが、
通訳を通して、この(笑)のニュアンスを伝えるのは難しそうなので、さすがに
それはしなかったようです。それはさておき、この質問に対してネグリはというと、
「非常に知的な質問に感謝します」と口上を述べたうえで、最近の反戦運動と
過去の平和運動との違いなどを指摘しながら、ひとまずの回答を試みた後、
ちょっと間をおいてから、こんな風に回答を結びました。
「マルチチュードというものを、
拡散してゆくもの、空へ飛翔してゆくもの、
そして、だんだん倍加してゆくものという、
そういうイメージでとらえてみても
よいかもしれませんね。」
これを聞いて「あぁ、たぶんこれは、
さっきの質問に対する返礼の
非物質的リップ・サービスだな」と
思ったのですが、一方でまた、これは、
さっきの回答の中で抑圧していたものが
再び「回帰」してきて化けて現れたのかしら、
とも思いました。
とはいえ、ネグリはさすがに抜け目がなく、全部の質問への回答が一通りすんだ後、
この日の応答のしめくくりとして、こんな風に付け加えるのを忘れてませんでした。
「私たちのなかには妖怪がいるのです。
その妖怪が労働のなかで姿を現わすという、
その暗い可能性はやはり否定できないのです。
私たちの存在のうちには、胡乱でぁゃしぃものが、
妖怪が、いるのです」
これを聞いて「あぁ、さすがに、ネグリは
百戦錬磨の思想家だなと思いましたが、
ただ、この日のネグリは、これにさらに
こう付け加えることを忘れてようです。すなわち、
「私たちの存在のうちには、貧しき者という
コモンネームを持った、汚れた神々が
いるときもある」ということを。
(おわり)
[おまけ]
生きていくには
眠る小屋があればよい
生きて死ぬには
少しの土地があればよい
ほしいのは靴と
くつしたと少しのパン
僕らは明日を信じて
生きていく♪
「ミラノの奇蹟」より