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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼あらゆる場所にプエブロが
▼あらゆる場所にプエブロが_d0017381_22455088.jpg「おばさんたちが案内する未来の世界」の横浜での最終公演がおわった。といっても、この映画は「エンドマーク」のない映画なので、これからもまだ、二匹のうさぎとその仲間たちの旅は、長くゆるやかに続いてゆくのだろうと思うし、なにより、ここから「生まれて育ってく」ものが、やがてどこかでつながり、結びつき、その環がだんだん大きくひろがってゆくのは、まだこれから先のことで、それはまだ、はじまったばかりだ、と思う。

福岡での「うさぎ!」朗読会からスタートして、それからまる1ヶ月、福岡、札幌、大阪、京都、東京と「イルコモンズ魂の労働」ツアーを続けながら、ときどき手伝ったり、ときどき連絡したり、ところによっては、参加したり、すれちがったり、現場作業を手伝ったりしながら、ずっと併走してきた感じがしているので、小沢くんの出身地で行われた最終日の公演に立ちあうことができて、よかった。

最終日の横浜では、司会進行役を担当することになり、映画の前と後に「作者の二人からのお願い」とか、「アフターパーティ」への案内とかの、お知らせをしなければならず、あまりしゃべりすぎる司会は嫌われるし、他の集いよりもずっと時間がみじかいので、上映後の「思い出したことを話す時間」や「アフターパーティ」では話さずにおいたことを、ここに書いておこうと思う。これまで通り、映画の内容にはなるべくふれずに、それだけを書きとめておこう、と思う。

当日、司会進行の話の余談として、BANKArtという会場の過去の歴史にちょっとふれた後に、「どんな公演でも、その最終日にはきまって何か小さな奇跡が起きたり、伝説が生まれるものです」という、そんな話をした。これはもちろん、当てずっぽうに云ったものだったのだが、実は確信もあった。それは、この日に上映されたヴァージョンのはじめの方にある、あるシーンの場所と、会場の建物のつくりが、とてもよく似てるので、そのシーンでは、まるでその場に居合わせているかのような臨場感や錯覚を覚えるはずだ、という予感があったからで、実際、その通りになったし、コールさんも上映後に同じことを云っていた。

もともと横浜の会場は、非常に堅牢なつくりの建物で、その構造上、残響音がとても多い。それをどう抑えるかを、みんなでずっと心配していた。案の定、はじめは、とにかく手のつけられないくらい音が暴れまわり、始末に終えなかったが、思いきってリアスピーカーを切り、ミキサーをこまめに調整することでそれはおさまり、結果的には、電気的にはつくりだせない自然の残響がとてもよかった。それは、スタジアムのシーンや鉱山の穴の中のシーンにぴったりの響きをつくりだしていたし、映画のおしまいの方で鳴る、悪魔を追い払う爆竹の音と、映画の最後に鳴るロンロコの最後の一音を、これまでみてきたどの会場よりも、長くゆっくりと響かせ、その響きを深く長くゆっくりと残しながら、静かに消えていった。目に見えないこの響きは、上演後の「とまらなくなった拍手」の響きとあわせて、かつて銀行であった場所をリサイクルしたBANKArtという会場でしか聞くことの出来ない音だったと、最終日の「小さな伝説」として語りつがれてゆくことを願いたい。

▼あらゆる場所にプエブロが_d0017381_22591317.jpgこれがまずひとつで、これとは別に、あともうひとつ「小さな奇跡」があったと思う。たぶん他の土地でも、それぞれの場と人とが直に向かいあったときにはじめて起きる「小さな奇跡」が起きていたと思うが、それはいずれ、その土地の人たち自身が語りはじめるだろうし、同じ横浜でもこれ以外の「小さな奇跡」がたくさんあったはずだと思う。これから書くのは、そのうちのひとつにすぎないし、「本当の奇跡」は、もっとずっと後になってから、「むかしむかし」という物語として語られるものだと思う。それは「悪めがね」たちがしてみせるような分析や評論というかたちでは語りえないもので、「悪めがね」が使うような言葉ではなく、子どもたちが聞いても分かるようなことばで語られるものだと思う。

ともあれ、最終日の朝、なんにもなかったその場所に、みんなが集まってきた。そして、それぞれ自分の家から持ち寄ってきたもので、みるみるうちに集いの場ができあがっていった。まるで魔法のように、それはできあがっていった。むかしむかし、その場所には、灰色の大好きな「大きなお金の塊」がどっさりと蓄えてあり、お金の用事のある人たちが、ときどき暗い顔でやってきては、お金をあっちにやったり、こっちにやったりし、お金の用事がすむと、そこから去っていった。そこは愛や友情や物語が生まれるような場所ではなかった。そう、そこは、かつて「銀行」と呼ばれていた場所。固く冷たい大きな石の塊で閉ざされていた場所。その跡地。そして、いまはその「大きなお金の塊」は、どこかへ消えてなくなってしまい、空っぽになっている。その空っぽになった場所に今度は、お金の用事ではない、別のもっと大事な用事で人が大勢集まってきた。やがてそこに旅人たちがやってきて、あいさつをし、映画がはじまった。旅人たちは「むかしむかし」と、かつてその場所で一度も語られることなかった不思議な物語を語り出し、光と音と声が空っぽの場所を満たしていった。映画のあいまに、値段のない食べ物や、価格のない飲み物が、みんなで分かち合われ、旅人が語る遠い土地の物語に、みんながじっと耳をかたむけた。そうするうちにだんだんと、忘れていた記憶がひとつづつよみがえってきた。とりもどした記憶が、そのまた次の記憶をノックし、埋もれていた記憶を、すこしづつ呼び起こしていった。次第にその記憶のリレーがとまらなくなり、それはとめどなく、つながっていった。ポロポロとこぼれだしていった。映画は語った。「私たちは忘れてしまった。私たちを忘れてしまった…」。でも、それは、ただ忘れてしまっているだけで、まだ思い出すことができるものだ、とも教えてくれた。人は誰でも等しく思い出すものと思い出す力をもっている。お金がなくても、思い出すことはできるし、知識がなくても、思い出すことはできる。たとえ立派でなくても、また正確でなくても、その思い出したことは、それぞれかけがえのないもので、自分のしるしのついた、自分の生きたあかしだから、それを持たない人はいない。人間であれば、人間として生きてきたのであれば、必ず何か思い出すことがある、必ず何か物語をもっている。集いは、それを思い出すきっかけをみんなが見つけだし、なくしかけていた思い出す力をとりもどす場だった。やがて映画は終わり、すべてを語りおえた旅人たちは、今度は話を聞く側にまわった。立ち上がって大きな声で一息に話す人もいれば、座ったまま小さな声で途切れ途切れに話す人もいた。長い話もあれば、短い話もあった。SMLというサイズにおさまらない話や、パッケージ化されていない話が、ときどきほつれたり、もつれたり、こんがらがったりしながら語られていった。そのリズムやサイズは、その人の生き方とつながっているので、決してひとつとして同じものはなかったが、それでも、みんな、どこかでつながってるような記憶と物語がゆっくりと交換されていった。それはお金とは決して交換することのできないもの、いくらお金をいくら払っても手に入らないものばかりで、交換できないはずのものが交換され、分かち合われた。かつて「銀行」と呼ばれていたその場所で、かつて「お金がすべて」だったその場所で、お金によってばらばらにされていたものたちが、もう一度、息を吹き返し、記憶をとりもどした。それはまるで、お金の塊が灰になった後にやってくる「未来の世界」と、そこで営まれる毎日の生活を先取りしたような「希望の風景」だった。それは、あの日・あの場でしか体験できない「小さな奇跡」だった。あれが奇跡でなかったら、他になにがあるだろう。現実の世界で起きる奇跡は、ハリウッド映画やテレビ番組のように、すぐにそれと分かるようなドラマチックなかたちでは起こらない。あの日・あの場に居合わせた人たちが、この「小さな奇跡」の記憶をずっと手放さないで、長く記憶し、そして何度も何度も思い出してゆく限りは、希望を失くすことはないと思った…

と、これ以外にも思い出したことや思ったことはたくさんある。なにしろ、いろんな場所で全部で5回みてきて、そのつど思い出したことは、それぞれまったく違うので、たくさんある。それをひとつづつ書き出してゆくと、とても長い話になるだろうし、なかにはまだ、ここに書けないこともある。特に最終日は、司会進行を担当することになってたので、そこで思い出したとしても、それを話すチャンスはないだろうと思い、昨日のうちに先に書いておいた「天使たちのシーン」の歌詞がそれだ。最終日の集いのあいだじゅう、聞こえないBGMとしてずっと頭のなかで鳴っていたのは、やっぱりその曲だったし、そこで「思い出したこと」、というか、「思い出したことば」も、やっぱりこのことばだった。

「僕らはみな非連続の存在であって、理解できない運命の中で孤独に死んでゆく断片である。でも僕らは「失われた連続性」に対するノスタルジーを持っている。僕らは自分たちが偶然の断片であり、やがて死ぬべき断片であるという、僕ら人間が置かれている状況に耐えることができないのだ。僕らは自分たちがやがて死ぬべき断片であり続けるという事実にいつも不安を感じていると同時に、僕らすべてを再び存在に結びあわせる、あのはじまりの連続性への想いを常に持ち続けている」

僕らは「プエブロ」ということばこそ持たないが、それと同じことを別の言い方や言語で表現したことばや歌や物語を、それぞれみんな持っている。たとえば、「君や僕をつないでく、ゆるやかな、とまらない法則」がそれだ。それに、人が思い出すこと(ば)なんて、だいたい、いつも同じで、そうやって何度も何度も何度も何度でもくりかえし思い出すものが、その人間がどういうふうに生きたいかをいちばんよく物語っていると思う。灰色は「人は買うもので決まる」というが、そんなことは絶対にない。人はその人が夢見るものや幸せと感じるもので決まる、と思ってるし、そう信じている。

[追記]これを書きながら、またもうひとつ思い出したことばがあるのだけど、でも、それはまた今度にして、忘れものの話をまず先に。昨日の集いの場で手に入れた、あの魔法のききめがあるといわれる「おばさんはがき」セットを、会場のどこかに置き忘れてきてしまいました。あの「おばさんはがき」じゃないとちょっとこまる用事があるので、どなたか、あのはがきをたくさん持ってる方で、すこしだけなら分けてあげられる、という方がいらしたら、イルコモンズまでご連絡ください。セットじゃなくどちらか一枚でもいいので、どうぞおねがいします。
by illcommonz | 2007-12-17 23:18
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