はじめに、ふた、ありき
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▼「クリスマス巡礼者が回復
紛争沈静のベツレヘム」 【ベツレヘム25日共同】世界のキリスト教国やゆかりの場所で24日夜から25日にかけ、クリスマスの礼拝や祝賀行事が行われた。イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムには、紛争の沈静化を受け、2000年以降で最多の巡礼者数千人が世界から集まり深夜ミサで祈りをささげた。カトリックの総本山、バチカンのサンピエトロ大聖堂で行われたミサで、ローマ法王ベネディクト16世は地球について「ひどい扱いを受け、汚染されている。将来が脅かされている」と述べ、地球温暖化や環境汚染をもたらしている物質文明の弊害を警告した。2000年秋に始まったイスラエルとパレスチナの衝突は、ベツレヘムではほぼ終息し、和平交渉の7年ぶりの再開などで治安イメージも改善。市中心部の広場は24日、パレードやコンサートで終日にぎわった(2007年12月25日)。 ところで、クリスマスになると、いつも思い出すのは、カトリック系の幼稚園に通っていたときのクリスマスのこと。その幼稚園では年長組になると、クリスマスの学芸会で「聖劇」をやることになってた。「聖劇」というのは、「いと高きところに栄光あれ、大地に平和あれ、人の心に愛あれ」とか、そういう聖歌をうたいながら、ベツレヘムでのイエスの誕生の物語を再現する宗教劇のことで、別名「キリスト降誕劇」ともいう。こないだ読んだニュースによると、イギリスのパブリック・スクールでは、非キリスト教系の移民の子どもたちに配慮し、「降誕劇」の上演を廃止したり、宗教的ではない別の演目にふりかえる傾向にあるらしい。パブリック・スクールとしては「政治的にただしい判断」だと思う。それはさておき、年長組のクリスマスのときは、ベツレヘムへ旅をする「東方の三博士」の役をやることになった。「東方の三博士」は長まわしのセリフが多く、幼稚園児にはちょっとむずかしい役だった。演技はともかくとして、ことばやうたを覚えるのは得意だったので、博士役のひとりに抜擢された。とてもうれしかった。なかでも、いちばんお気に入りのセリフは、「みよ!あれがベツレヘムの灯だ!」というやつで、夜更けに丘の上から遠くの方を指差して、ひときわ大きな声で、そう云うのだ。すると、長い旅でくたくたになってた他の二人の博士たちが口をそろえて「おお!」といい、それにつづけてこう云う。「さあ、行こう、ベツレヘムへ行こう!」と。そして3人で舞台のそでに静かに消えてゆく。そういう役だった。ベツレヘムという地名は幼稚園児の生活にはまったくなじみのないことばなので、ちょっと覚えにくいのだが、「さあ、ベツレヘムへ行こう!」というセリフが、そのころ好きだった「ブレーメンの音楽隊」の「さあ、みんなでブレーメンへ行こう!」というセリフと似てたので、すぐに覚えられた。いまでも「ベツレヘム」や「ブレーメン」という地名をきくと、そのときのことを思い出し、いつか行ってみたいと思うが、まだ行ったことはない。いつか行ける日がくるのかどうかもわからないけど、いつか行ってみたいと、いつもそう思ってる。たとえ行けなかったとしても、まだ見ぬ遠い土地のことをあれこれ想像し、それに憧れ続けるのがロマン主義者の、なによりのたのしみなので、たぶん、いつまでたっても行かないような気もするが、もし機会があれば、やっぱり行ってみたいと思う。それはともかくも、人生はいいことばかりではない。その冬に流行したインフルエンザにまっ先に罹ってしまい、ほかの園児たちに伝染さないように、けっこう長いあいだ幼稚園を休むことになった。熱を出して寝てたときも劇のことが気がかりで、覚えたセリフを忘れないように、本番のステージを想像しながら、頭のなかで劇の練習をつづけていた。そして、ようやく通園の許可がおり、幼稚園へ行くと、担任の先生から、自分がやるはずだった「東方の三博士」の役は他の子がやることになったと、そう告げられた。それはものすごいショックだった。担任の先生から、そのことをどんなふうに告げられたのかまるで憶えてない。そのときの記憶がすっぽり消えている。つながりはよくわからないが、つめたく寒い長い廊下の先にあった配膳室の、温められた牛乳にすごく分厚い膜が張っていたということだけ、なぜかよく憶えていて、それをみて嘔吐した記憶がある。いまでも温かい牛乳を飲めないのは、たぶんそのことと関係しているのかもしれないが、よくわからない。ともあれ、いま思い出せるのは、学芸会の本番では、「三人のサンタクロース」の役にふりかえられたということで、これは劇の本筋とは関係のない幕間の余興のようなものだった。それは三人のサンタが横一列にならんで、トルコのコサック・ダンスのように足をあげて踊るというもので、この役にセリフはなかった。本当は愉快で楽しいダンスのはずなのだが、踊ってるうちに、悲しさがぐんぐんとこみあげてきて、ついに我慢できずに、泣きながら踊った記憶がある。子どもの頃のアルバムにその時の写真が残っていて、真正面をむいたまま、泣きべそをかいて、目をはらし、鼻を真っ赤にして踊ってる姿があった。我ながらそれを見るのがつらくて、あるとき、その写真をアルバムからはがして捨ててしまったので、写真自体はもう残ってないが、そこに写ってた光景はよく憶えている。その写真は学芸会の後に幼稚園で配られた写真なので、ネガはない。その幼稚園は今も同じ場所にあるので、もしかすると幼稚園のどこかにまだネガが保管されてるかもしれない。もしそうなら、いつか見てみたいと思うが、まだ見に行ったことはない。これから先、見に行くことがあるのかどうかもわからないが、いつか見てみたいと、いつもそう思ってる。たとえ見に行くことがなかったとしても、二度ともどることのできない過去のことを、あれこれ想像し、それに憧れ続けるのがロマン主義者の、なによりのたのしみなので、おそらくいつまでたっても見に行かないような気もするが、もし機会があれば、やっぱりもう一度見てみたいと思う。それはともかくも、人生にくりかえしはつきもので、文化人類学の博士号をとらずに大学院を退学し、現代美術家になってしまったとき、「ああ、そういえば、」と思い出したのは、「東方の三博士」になりそこねたときのことだった。人生にくりかえしはつきものだから、この先もまたきっと、何かになりそこね、夢みたものには何にもなれない、という「なりそこねの人生」がつづくのかもしれないが、そんなふうに、なりそこねているものや、行きそこねている場所がある限り、いつまでもそれを夢みたり、想像したりすることができるので、ロマン主義者としては、そのほうが仕合わせである。 と、思いがけず、こんなことを書いたのは、「イルコモンズの回顧と展望」展をやるからなのかもしれないが、もちろんそこで「回顧」するのは、これとはまた別のことであり、そこで「展望」するのも、まったく別のことである。それはともかくも、ここしばらくの自分の行動や言動を通じてはっきりわかったのは、いまのこの世の中のおかしなクリスマスを粉砕したいと思うほど「クリスマスが好きだ」ということだ。おかしな話だけど理屈はだいたいあってる。なので来年もまた、バイ・ナッシング・デイに参加し、鍋集会でクリスマスを粉砕したいと思ってる。「粉砕するための粉砕ではなく、本来の姿にもどすための粉砕」なら、きっと神さまだって大目にみてくれるはずである。非キリスト教系の異教徒だけど、そう思うし、そう想像する。
by illcommonz
| 2007-12-26 06:12
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