はじめに、ふた、ありき
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サルベーション・アーミーの「クリスマス・ケトル」。日本では「歳末の助け合い、 救世軍の社会鍋」。駅前でやってると、つい、じぃぃっと立ち止まって見てしまう。 昨晩は新宿駅の西口でやってた。小さい女の子が大きなアルト・ホルンを抱えて、 「アメイジング・グレイス」を演奏してた。それにあわせて、いつも持ち歩いてる パンデイロで、タタタタタンとリズムと打ってみたら、なかなか具合がよかった。 チンドン屋にしろ、マーチングバンドにしろ、外でドラムとラッパが鳴ってるのが 聞こえると居ても立ってもいられなくなるから困ったものである。それはさておき、 新宿駅の西口と東口という違いはあれ、同じ鍋でも社会鍋は公けに認められ、 路上鍋が公権力によって追い払われるのは、ちょっと不公平だな、と思った。 路上鍋は、居酒屋のテーブルチャージどころか、電車代すらろくに持ってない ような貧乏人たちが、歳末の冬空の下、ひとつのこたつで鍋をかこんで、今年 一年の貧乏を笑いとばす、歳末助け合いの運動である。慈善事業とまでは 云わないが、少なくとも、悪ではないはずだ。もちろん犯罪であるわけがない。 たしかに多少騒がしいところもあるが、クリスマスセールの呼び込みなんかに 比べれば、ずっとおとなしい。それに、ちょっとくらい騒がなければ、鍋だって うまくないし、酒もまずくなる。三波春夫だって云ってるぞ。「知らぬ同士が 小皿たたいてチャンチキおけさ」と。「外で食べるな」というかもしれないが、 それなら屋台はどうなのだ?屋台でたべるからこそうまいものもあるだろう。 テレビのCMだって「寒いこの季節はやはり鍋ですね」と云ってないだろうか。 それなのに「なぜ路上鍋だけが?」と今頃になって急に疑問に思えてきた。 だが、むずかしく考えることはない。それは単にひとが路上鍋をまだ見慣れ てないからだと思う。慣れれば、なんてことはない、ただの路上鍋である。 はじめはどんなに奇異にみえるものでも、慣れてしまえば、なんでもない。 文化というのはそういうものだ。はじまったばかりの文化のことを流行と呼び、 長続きしている流行のことを文化と呼んでるだけのことだ。そもそも「外で 鍋を食べることのどこが変なのか?」と問われて、それにちゃんと答えられる 人がいるのだろうか?それに、路上鍋だって歳末恒例の行事となりつつある。 今年はクリスマス・イヴの夜に福岡、京都、札幌の3ヶ所でデモが行われ、 それぞれに、こたつと鍋が登場した。。ケータイやゲームでバラバラにされた 現代社会のどまんなかに、人と人とむすびつけるこたつと鍋がよみがえって きたのはきわめて象徴的である。ポストモダンのどまんなかにプレモダンな 民衆文化が回帰してきたのだ、これを反乱と云わずて何という。おそらく 来年はもっとたくさんのこたつと鍋が、クリスマスめがけて戻ってくることだろう。 大分でも、熊本でも、鹿児島でも、兵庫でも、鳥取でも、大阪でも、横浜でも、 「こたつの民」と「鍋の衆」たちの反乱が始まるだろう。そして、もし、そこに、 おばさんたちが加勢してきたら、これはもうたいへんなことになる。富山の 「米騒動」、別名「女房一揆」以来の、「こたつ騒動」と「鍋一揆」がはじまるだろう。 もしこの「オイルショック」がこのまま続いて、食料品の値段が上がり続ければ、 クリスマスを待たずに、夏には各地で火の手があがるだろう。あらゆる革命は おばさんたちが鍋をもって街にとびだし、鍋を打ち鳴らすところからはじまった。 お腹をすかせた家族のためにおばさんたちが立ちあがるとき、歴史が動く!! とかなんとか、たしかクリスマスの夜は、高円寺の「素人の乱」でそんな話を してたっけなぁ、、と、いま思い出した。
by illcommonz
| 2007-12-28 11:37
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